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■夫への手紙が「恋文大賞」
2012.01.01
震災で不明、菅原さん2通目
遺志継ぎ前へ進みます/
 三陸の人々の心に深い傷跡を残したまま、2011年が過ぎた。年が改まり、何もなかったかのように穏やかな海が輝いている。だが、東日本大震災の被災地では、帰らぬ肉親を待ち続けている人が数多くいる。悲しみを抱えながら歩みだし、また立ち止まる。津波で家族3人を亡くした気仙沼市鹿折地区の酒店経営、菅原文子さん(62)もそうした一人だった。行方不明の夫豊和さん(62)に宛て手紙を書いた。それが昨年の「恋文大賞」(柿本商事主催)で大賞に選ばれた。やり切れぬ思いで「あなたのお帰り待っています」と結んだ文子さん。昨年末、酒店を訪ねた。家族と共に力強く生きる姿があった。「リアスの風」は豊和さんに宛てた2通目の手紙に、今の思いをつづってもらった。

◎「生かされた者の務め」/家業の酒店、守る決意

 津波の爪痕が痛々しい鹿折地区の住宅地から眺める山々。震災とは無縁の表情を浮かべ、時がたつ早さを実感した。

 <アッと言う間に風花が舞う季節となりました>
 昨年夏に書いた1通目の手紙は、豊和さんの帰りを「寒くなる前に」と願った。緑の濃さを増したと思った山は、いつの間にか落ち葉のささやきが聞こえるようになったが、抱き続ける思いは変わらなかった。

 <今だ帰らぬ貴方は何処においでですか>
 文子さんが豊和さんに宛てた手紙は昨年が初めてではない。豊和さんは1987年から5年間、急性骨髄性白血病で闘病生活を送った。仙台市内の病院に入院したこともあって、文子さんは酒店を守りながら、何通も手紙を書いた。

 結局、返事は一度も来なかった。病気が完治した後、自分の手紙が大事に保管されているのを見つけた。「今回も返事はない。けど、きちんと読んでくれていると思う」。だからこそ、問いかけてみた。

 <大賞受賞は貴方からのプレゼントでしょうか>
 文子さんは今も震災当日の記憶が鮮明によみがえる。豊和さんが店を守ろうとシャッターを閉じ、2階に避難しようと外階段を上りかけた時だった。津波が襲った。

 文子さんは腰まで水に漬かり夫に手を差し伸べた。その手が握られた瞬間、豊和さんは目の前からいなくなった。「お父さん!」。必死の叫びは波の音でかき消された。

 翌朝、飛来したヘリコプターをベランダから見つけ、助けを求めた。階下では、逃げ遅れた義父豊太郎さん(92)、義母のり子さん(89)が冷たくなっていた。

 発狂しそうな極限の状況下、ピンク色のタオルを屋根に掲げ、必死で手を振った。ヘリは通り過ぎ、消えて行った。

 そのヘリには、河北新報の写真部員が乗り込んでいた。文子さんの姿は「東日本大震災全記録―被災地からの報告―」(同社刊)に掲載され、後日、当時の自分の姿を目にすることになった。

 <涙が止まりませんでした 生きたい死にたくない必死の姿でした>
 記事には、空撮したカメラマンが、助けられない無力感と罪悪感にさいなまれながら撮影した心情が吐露されていた。「苦しみが理解できた。その気持ちがとてもありがたかった」。同時に、掲載された写真は「今後を歩もうとする自分の原点の姿と重なったんです」
 現在は、気仙沼市の太田と西八幡町の2カ所で仮店舗を開く。長男で4代目の豊樹さん(38)夫妻と孫2人の5人で借家に住む。自身が『負げねえぞ気仙沼』と書いたラベルを貼った日本酒の売り上げも好調だ。

 <生かされた者の務めです 息子達と孫達と賑やかに我家の歴史を刻んでいきます>
 店はあと7年で100周年を迎える。気丈夫な筆は、夫の遺志を継ぎ、のれんを守り続ける決意をしたためた。
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