■83歳、船大工の腕健在
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2011.09.03 |
宮城・南三陸町の高橋さん
10年ぶり新船完成
新たな注文に多忙な日々/
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気仙沼・南三陸地方をはじめとする東日本大震災被災地の多くの漁業者が、津波で失った漁船の調達に苦労する中、南三陸町歌津中野の元船大工の高橋文平さん(83)は、自宅の木造船が被災したのを機に、約10年ぶりに船造りに取り組み、新船を完成させた。船造りは1隻で終えるつもりだったが、国内でも数少ない船大工だけに、新たな注文も舞い込み、忙しい日々を送っている。
父親が船大工だったことから、高橋さんも伊里前国民学校卒業後の14歳ごろから家業を手伝い、船造りを学んだ。しかし、父の専門は丸太をくりぬいた底板で造る“合木(かっこ)舟”。当時は、木を張り合わせる“早波(さっぱ)船”が主流になったため、歌津泊地区など近隣の船大工の下で修業を重ね、20歳から船大工として本格的に船造りに取り組んだ。
10年ほど前に仕事をやめるまで0.5〜5トンの木造和船を約300隻造り上げ、歌津、志津川、本吉の沿岸各地で使われた。飯野川(現石巻市河北町)から川船の注文もあったという。
自宅で沿岸漁に使う「文丸(ぶんまる)」(0.7トン)も自らの手で造った。漁を手伝う妻のりつさん(81)は「船体が重いので、多少の波では揺れず、岩にぶつけても大丈夫だった。建造から18年たっても水漏れもしなかった」とその優秀性に太鼓判を押す。
文丸は、自宅から500メートルほど離れた港漁港に置かれていたが、3月11日の津波で被災し、行方不明。高橋さんは「新しい船が欲しいが、支援による配給などを待っていては、いつ手に入るか分からない。自分で造るしかない」と、健康面を心配する家族の反対を押し切り、6月中旬ごろから船大工の仕事を再開した。
2カ月半を費やし、全長7メートル、幅1.4メートルの新造船が完成。船は塗装すれば使えるが、港漁港が被災して船が置けないため、当面は自宅南側の工場前に置いておく。
高橋さんが仕事を再開したことを知り、津波で船が被災した本吉町鮭組合関係者から2隻の川船の注文があった。数年前に大病を患い、一昨年は高熱で5カ月間寝たり起きたりの生活したことから「途中で造れなくなっては申し訳ない」と、高橋さんは断った。しかし「船大工をあちこち探したが、高橋さんしかいない」と、材料の杉材まで持ち込んだ熱意に押され引き受けることにした。
船造りを再開した際には、木造船専用の船くぎの調達に苦労したが、インターネットで全国各地から探したり、岩手県内の会社に勤務する長男の文広さん(50)に業者を紹介してもらったりして確保した。
「船造りはもう終わりにする」と語る高橋さんだが、工場で作業するその表
情は、充実感にあふれている。 |
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