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■養殖漁家、確かな一歩
2010.01.01
津波被害越えて
宮城沖大地震の教訓に/
 湾内を航行する船の白波とともに、点在する養殖いかだ群…。東に位置する唐桑半島や沖に浮かぶ大島が天然の防波堤となって太平洋の荒波を遮り、波静かな気仙沼湾はカキ、ホタテ、ワカメ、コンブなど養殖が盛んだ。

 しかし昨年2月28日、50年前のチリ地震津波を再現するように、地球の裏側で起きたチリ大地震に伴う津波が一昼夜をかけて三陸沿岸に襲来。気仙沼湾の養殖施設も大打撃を受けた。

 初めは“パーン”という鉄砲のような音が鳴った。いかだを固定するロープが切れる音だった。一つ鳴り出したのをきっかけに、同じ音が方々でなり続く。

夜になると今度は“バキバキ”“ボーン”。竹で作られたいかだ同士がぶつかり、あるいは重なって壊れる音が鳴り響いた。

 気仙沼市大島北側の大島瀬戸に面した亀山地区沿岸部に住む養殖業の小松武さん(35)=気仙沼市亀山=は、津波襲来の翌朝、自宅から見た海の光景にがくぜんとした。約200台あった大島瀬戸のカキいかだは、一つ残らず移動し、まるで小島のように4、5カ所に固まって浮いていた。「いつも見慣れた海とは違い、異常な風景だった。どうしたら、津波前の姿に戻すか、その手順さえ検討がつかなかった」…。

 あれからまもなく1年が経過する。漁業者たちの努力により、破損したカキいかだは修復され、気仙沼湾は何事もなかったかのように養殖いかだが整然と並ぶ、いつもの姿を取り戻した。

 大きな痛手を被った養殖漁業者たちだが「津波で受けた被害の分も取り戻したい」という強い決意を胸に、太平洋から昇る初日の出に、新年の豊漁と幸多い1年を願う。

 「何をどうしたらいいのか」―。小松さんが、やっと分かったのは津波被害から約1カ月後。壊れたいかだを新しく作り直す竹が届き、それを組み始めてからだった。

 同じ亀山地区沿岸で養殖業を営む6軒で共同作業をし、小松さん宅の13台を含め、約40台のカキいかだを作り直した。

 6軒のうち、4軒は小松さんと同じ30〜40代の若手後継者がおり、その親も養殖漁業の現役。「体力では劣るが50年前のチリ地震津波を経験している世代と、津波経験は無いが体を動かせる若い世代がいる。そういう地域性もあり共同作業はしやすかった」と小松さんは語る。

 とはいえ、チリ大地震津波で、小松さん宅では養殖施設の修復費用や生産物の減収も1000万円を超える被害となった。養殖施設については激甚災害法に基づく復旧費が3月下旬ごろ支給される予定だが「手続きが大変な上、施設の使用年数を経るほど減額となるため、思ったほどの援助は期待できない」という。

 小松さんは津波被害で奔走した2010年を「“高い授業料”を払うことになったが、自分たちが自然の恩恵を受けて商売していること、そして自然の猛威には勝てないことを知る貴重な経験にもなった」と振り返る。

 津波の教訓を将来の発生が確実視される「宮城県沖地震への備えに生かしたい」と前向きに受け止めながら、海の仕事に精を出す小松さん。「親の代までは、良い水産物を育てることに力を入れてきた。これからは消費者が直接産地に来て、採れたてのカキやホタテをその場で味わい、買ってもらえる仕組みをつくりたい」と夢を語る。
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