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■ロシア文書に若宮丸の記述多数
2009.08.26
江戸時代に漂着した石巻の千石舟
東北大東北アジア研が翻訳、史料集に/
 東北大学東北アジア研究センターはこのほど、史料集「ロシア史料にみる18−19世紀の日露関係」第4集(非売品)をまとめた。ロシア側文書を翻訳した史料集。江戸時代に遭難しロシア領に漂着した千石船・石巻若宮丸漂流民に関する史料が多数収録されている。ロシア側から見た日露交渉の中で、若宮丸漂流民が果たした役割を知る貴重な史料集となりそうだ。

 若宮丸が石巻港を出港し遭難・漂流したのは1793年。11年後の1804年、漂流民のうち4人が日本人初の世界一周の果てに、遣日使節レザーノフとともに、ロシア船ナジェジダ号で長崎に着いた。

 第4集は、レザーノフの派遣と若宮丸漂流民の送還をめぐる史料を中心に編集。レザーノフの報告書や皇帝への手紙など、1795年から1805年までの16年間の史料66点を収録している。

 当時、ロシア政府は、毛皮市場やシベリアへの食料供給基地として、日本との通商関係を望んでいたため漂流民の保護を命じていた。保護した漂流民を送還することで、鎖国下にあった日本と国交を開く交渉のきっかけにしようと考えていた。

 史料集からはそうした流れをつかむことができ、ロシア側から見た日本の外交の在り方をとらえられる。外交の駆け引きに翻弄(ほんろう)される若宮丸漂流民の姿も読み取れる。

 帰化して通訳になった善六に関する史料も目立つ。レザーノフの手紙には、航海の間に善六から日本語を教わり、露日辞書としてまとめたことが記されている。

 善六が途中、カムチャツカで下船させられた理由を記した手紙も興味深い。帰国を希望した4人との感情的な対立があったこと、善六が改宗していてキリシタン禁制をしく日本を刺激させることを懸念したため−と記されており、やむなく下船させたレザーノフの心情が伝わってくる。

 東北アジア研究センターは「前近代における日露交流資料の研究」に関する共同研究を推進しており、その成果として史料集を発行してきた。

 第4集の監修にあたった同センター教授の平川新さんは、石巻若宮丸漂流民の会副会長。「若宮丸関係が充実したものとなった。活用してほしい」と話している。
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