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■「倒れ墓」の怪奇伝説紹介
2008.09.02
石巻・湊地区活性化推進協
160人語りに聞き入る/
 石巻市の湊地区活性化推進協議会は、地元に伝わるミステリー伝説「倒れ墓」に関する学習会を三十一日、同市吉野町一丁目の慈恩院本堂で開いた。湊地区にとどまらず郷土史や怪奇伝説のファンら約百六十人が訪れ、慈恩院に今も倒れたまま残る墓石にまつわる不思議な言い伝えについて学んだ。

 慈恩院・老大和尚の桜井希雲さんが、「倒れ墓『栄存法印の妄執』」の題で講話。一六〇〇年代後半にあったとされる倒れ墓のエピソードを語りで再現した。

 倒れ墓は、江戸時代に石巻の領主だった笹町新左衛門重頼の息子・彦三郎安頼の墓とされる。重頼の養父・但馬は、伊達政宗の知遇を得た真言密教の高僧・栄存法印を湊牧山の霊場に招請。栄存の法力も頼りにして米流通を中心とした産業開発に力を発揮した。

 ところが、但馬の死後、地区民の徳望を一身に集める栄存をねたんだ重頼が、世の中を乱すという罪を着せて江島(女川町)へ流刑した。栄存は島で非業の死を遂げるまでの三年間、重頼一家に対する憤激の情にかられ、湊方面へ向かってのろいの修法を繰り返した。湊地区は原因不明の大火に見舞われた。

 重頼は栄存ののろいに気が狂い、妻を殺害して自害。息子安頼も舟で逃げようとしたものの、変死した。安頼の二人の娘も難病などで死に、笹町一族は絶えたとされる。

 桜井さんは「栄存法印の怨念(おんねん)は一族を途絶えさせるほど大きかった。すべては重頼の醜い憎悪、嫉妬(しっと)が原因だった」と、人間のねたみを戒めた。

 湊地区では江戸時代から幕末にかけて三度の大火があったが、笹町一族に背いて栄存に尽くした高橋家だけは焼けなかった。現在で十七代になるという高橋家の当主は「家には菰(こも)に包まれた護符が代々伝わっている。開けることは禁じられているが、火伏せのお守りらしい」と述べ、伝説の不思議さを裏付けた。

 湊地区の伝説に光を当てた活性化推進協のメンバーらは「アニメや歌舞伎のストーリーに役立てられないか」と話していた。

 栄存法印の遺骨は後に江島から牧山に移され、神社に祭られた。「栄存神社」として、今も零羊崎神社近くに残っている。
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