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■有志でフランク安田50周忌法要
2007.11.14
石巻出身「アラスカのモーゼ」
理想郷ビーバー村、日米で偉業再確認
村の子ども来石計画も/
 石巻市湊出身で、「アラスカのモーゼ」と呼ばれたフランク安田(本名・安田恭輔、1868−1958年)没後50年を迎える来年、自身が米国アラスカ州に切り開いた村で、50周忌法要(メモリアルポトラッチ)を営む話が有志の間で進んでいる。年内に実行委員会が発足する。来春には村の子どもたちが修学旅行で来日し、石巻で交流を深める計画もある。没後半世紀を機に、日米双方でフランク安田の偉業を再認識する機運が高まりそうだ。

 法要を発案したのは東京都在住の里見亮さん(三三)。里見さんは、中学のころに読んだ新田次郎著の小説「アラスカ物語」をきっかけに、主人公のフランク安田にひかれた。十数年前からたびたびアラスカを訪れた末、二〇〇〇年にカナダに渡航。現地の観光会社でオーロラのガイドを務めながら、安田がアラスカにつくった「ビーバー村」の人たちと交流を深めてきた。

 ビーバー村は、州都アンカレジの北方約五百五十キロ、中原を流れるユーコン河上流に位置する。安田がバローという北の街から連れてきたイヌイットと、先住民のアサバスカンインディアンがつくった共同社会で、現在七十人ほどが暮らす。

 メモリアルポトラッチとは法事を意味する英語で、北米大陸に暮らすネーティブインディアンの伝統行事。親族が主催者となり、その土地で収穫される野菜などで作った料理がうたげに出る。さらに伝統的な工芸品を参列者に配り、ドラムダンスを踊るなどして霊を弔う。

 現地でこの様子を見た里見さんは「ネーティブインディアンの文化が集約された素晴らしい行事」と感動、フランク安田のために営みたいという思いを強くした。

 安田らが建てた村唯一の学校「クルイックシャンクスクール」などの教育関係者や州議会議員らとともに実現に向けて奔走してきた。今夏には安田の三人の孫と面会し快諾を得た。オーロラ研究の第一人者でアラスカ大国際北極圏研究センターの初代所長を務めた赤祖父俊一・同大名誉教授らも協力を約束している。

 法要は来年八月二十三日、同校を会場に行われる予定。翌二十四日は、石巻から参加する日本舞踊の藤間京録さんや日高見太鼓のメンバーなどが日本の伝統文化を披露するほか、村の歴史やフランク安田の功績についての映写・講話がある。村内にあるフランク安田夫妻の墓参りも検討している。

 これに先立ち、修学旅行で来年四月十五、十六の両日、生徒らが石巻を訪問する予定。クルイックシャンクスクールは小学生から高校生までが学んでいる。村の過疎化とともに児童生徒は十人程度まで減っており、再来年には廃校の話もある。このため、アン・フィッシャー校長が最後の修学旅行先として、安田の生まれ育った石巻を希望した。

 計画を聞いた石巻の文化・教育関係者らは、年内にも実行委員会を設立し、文化団体のアラスカ渡航や修学旅行の受け入れに関する支援に乗り出す。

 里見さんは「イヌイットと先住民を共存させた安田のすごさに感動した。法要や修学旅行を成功させるため、石巻の皆さんの力を借りたい」と話している。

 フランク安田 1884年、16歳で見習い船員として渡米。米大陸最北端の村バローに来て、イヌイットの女性と結婚、フランク安田と名乗る。飢餓や疫病にあえぐバローのイヌイットのリーダーとなり、金鉱発掘で富を得る。新天地を求めて村人を引き連れ、苦難の末にたどり着いたユーコン河畔に「ビーバー村」という理想郷を建設。20世紀初頭の奇跡と評された「民族移動」は「アラスカ物語」で紹介され、多くの日本人に知られるようになった。晩年は太平洋戦争の突発で強制収容所に入り、90歳の生涯を閉じた。
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