最近話題の映画などを記者の目からご紹介しているコラムです。

■しあわせの隠れ場所

 実話であることに驚かされる。親から引き離され、家も寝る所もない黒人の男子高校生マイケル・オアーを、裕福な白人家庭が引き取る。心を閉ざしていた彼が温かさに触れ徐々に心を開いていく。体格に恵まれた彼はフットボールで才能を開花。全国の有名大学が獲得に乗り出す。そしてプロの世界が待っていた。

 まるで嘘のような本当の話。何しろ舞台となっている南部のテネシー州メンフィスは、まだ白人と黒人の居住区が分かれている所。が、描かれるのは、偏見も差別も持たない善意にあふれた白人一家と、ベッドで寝たことがなかった黒人の高校生との触れ合いである。

 米国の観客が求めているのが見えるような気がする。何の共通点がなくても人と人とがつながり合える、分かり合える心の絆(きずな)である。

 しかも一昔前の話ではない。マイケルが大学を卒業しプロに入ったのは昨年のこと。奇跡のような心温まるドラマが、9・11同時多発テロ後、人間不信に陥っていた米国社会に、感動を与えたことは容易に想像がつく。

 主演はサンドラ・ブロック。マイケルを家族の一員に迎えるリー・アンを好演。今年のアカデミー主演女優賞候補に選ばれた。作品賞にもノミネートされている。授賞式はきょう7日だが、果たして結果は。監督はジョン・リー・ハンコック。「オールド・ルーキー」という佳作がある。


■恋するベーカリー

 メリル・ストリープの快進撃が止まらない。最近はコメディーづいており、あの演技派の大女優が、と思うほどスクリーンの中で弾けている。

 都内の映画館で好評だった「ジュリー&ジュリア」では、フランス料理を米国の家庭に初めて紹介した実在の米国人女性ジュリア・チャイルドを楽しそうに演じていた。

 石巻でも見られるのが「恋するベーカリー」。新しい恋人が、別れたはずの夫だったことから起こるドラマが、子どもたちらを巻き込んで展開する。監督が女性のナンシー・マイヤーズなのがポイント。女性の視点から描かれていて、ストリープと女友達らとの会話が本音合戦のようで、けっこうきわどい。そのためかR15指定となった。

 妻、母、働く女性、恋する女性と、それぞれの表情を見せるストリープはやはりうまい。シリアスな作品での名演技もいいが、コミカルな演技力に新鮮な魅力を感じる。

 元夫役のアレック・ボールドウィンも、年齢を重ねたせいか味が出てきた。かつてのアクションスターが意外なコメディーセンスを発揮。ストリープをめぐって恋のライバルとなるのがスティーブン・マーティン。ふだんのコメディアンぶりを抑えた真面目人間ぶりがおかしい。

 この2人の男優、今年のアカデミー賞の司会が決まった。どんな名コンビぶりを見せてくれるのか。こちらも楽しみだ。

■バレンタインデー

 パンフレットに載っていた女性ライターの一文が示唆に富んでいる。米国では9・11同時多発テロ以降、喪失を体験したからこそ、家族というものの大切さが再認識されているという。

 ゲイリー・マーシャル監督が、その辺を意識して作ったかどうかは分からないが、ロサンゼルスを舞台に、バレンタインデーという特別な1日を描いたこの映画は、いろいろな愛に満ちたロマンチック・コメディーだ。

 恋人同士が、夫婦が、親友同士が、親子が愛を確かめ合いながら、お互いを支え合っていく姿は9・11以後の米国社会が求めている姿と言ってもいいかもしれない。

 話題は俳優たちのアンサンブルだ。ジュリア・ロバーツをはじめアン・ハサウェイ、ジェイミー・フォックスらが出演。スター競演による恋の物語、愛の物語が幾つも平行して描かれる。愛のある人生の素晴らしさを見つける、確認する。そこに共感し、多くのスターが集結した。

 喪失感を直接のテーマにしていたのがピーター・ジャクソン監督の「ラブリーボーン」だった。少女の死を通して家族の姿を見つめた。その先に描いていたのが家族の再生、愛の再生だった。

 両作品はアプローチに違いこそあるが、観客に示そうとしたものは同じと言える。9・11で失ったもの、学んだもの。この2作品は米国民の今の心情を反映している。

■ゴールデンスランバー

 中村義洋監督の「ゴールデンスランバー」を見た。首相暗殺犯人に仕立て上げられた青柳雅春がひたすら仙台市内を逃げ回る。趣向を凝らし、見どころはある。が、何かが物足りない。そう、青柳の生き方が引っかかった。汚名を着せられたまま、その後の人生を送ることに、彼は何の疑問を持たないのだろうか。

 警察から追われて、逃げているうちに、いつの間にか人生からも逃げていた。そんな感じだ。反撃を試みようとさえしない。理不尽な力で奪われた本当の自分を、自分の人生を取り戻そうとしない。一生逃げながらの人生に、生きる価値はあるのだろうか。

 相手が巨大な権力、強固な組織であっても個として闘うところに意義がある。「暴力脱獄」のポール・ニューマンが演じたルークがそうだった。不条理な権力に抵抗し、不屈の精神で最後まで闘い抜いた。屈することを良しとしなかった。

 しかし「ゴールデンスランバー」は、「黄金のまどろみ」というタイトルの意味通り、青春映画が持つ居心地の良さで包み込んでしまった。

 青柳よ、それでいいのか。目覚めて闘え!!、と言いたい。君を信じた人や犠牲になった人に報いるためにもである。

 クリント・イーストウッド監督の「インビクタス」が公開された。「征服されない」という意味だ。屈服されない者の話である点が興味深い。

■サロゲート


 ”サロゲート”という究極の身代わりロボットが登場する。人間は自宅から遠隔操作するだけ。脳波でつながっている仕組みなのか、サロゲートが感じたことがそのままその人間に伝わる。ルックスばかりか、体型も、性別も、年齢までもその人間の好みに合わせることができる。なりたい自分の姿がサロゲートだ。

 テクノロジーによる理想的な社会が描かれる。が、果たしてこれが本当のユートピアなのか。一つの殺人事件をきっかけに、この社会システムに疑問が投げ掛けられる。

 サロゲートの破壊と同時に、遠隔操作していた人間までも自宅で死んでいたという事件が発生する。担当するのがブルース・ウィルス演じるFBI捜査官。金髪がフサフサのウィルスが登場。サロゲートなのだが、ウィルスにとって、これがなりたい自分なのだろうかと、おかしかった。

 大手企業の開発によって生まれたサロゲート社会に不信を抱き始め、自らの体を駆使して事件の真相を探り出していくところが見どころ。このシステムを拒否し続ける人間の集団も絡んで、事件は意外な展開を見せる。

 監督は「ターミネーター3」のジョナサン・モストゥ。身体的接触が希少になっていく現代社会に対する懸念が、この映画を作る一つのきっかけになったという。サロゲート依存社会という虚構に、今の携帯電話依存気味の社会が重なった。


■Dr.パルナサスの鏡


 悪魔との契約、人間の願望(欲望)をかなえる鏡の中の世界…と、テリー・ギリアムらしい奇想天外な世界が現代のロンドンを舞台に展開する。導くのは、荷馬車で巡業するドクター・パルナサス率いる旅芸人一座である。この時代錯誤的な一座が面白い。

 悪魔とドクター・パルナサスの会話が意味深。物語の力が世界を存続させてきたという。それはギリアム自身の考えかもしれない。鏡の外である現実と、鏡の中という二つの世界を行ったり来たりしながら語られる物語は、ギリアムの世界観にあふれている。

 魅惑的なファンタジーには全く興味がないといった感じで、ナンセンスで、ブラックユーモアに満ちた、かなりシニカルな世界が描かれる。

 しかも、レクイエム的色彩さえ帯びている。というのも、物語のキーパーソンであるトニー役のヒース・レジャーが急死したためだ。この役をヒースの親友であるジョニー・デップ、ジュード・ロウ、コリン・ファレルの3人が引き継いだことは周知の事実。鏡の中の世界で、この3人が活躍する。それぞれがトニーの別の一面を表現する。

 ドクター・パルナサス役はクリストファー・プラマー。「サウンド・オブ・ミュージック」でトラップ大佐を演じていた名優で、81歳になる。注目は娘役のリリー・コール。スーパー・モデルから女優へ変身を遂げた。


■今度は愛妻家


 豊川悦司が扮(ふん)する写真家・北見俊介の事務所兼自宅で、主に物語は展開、登場人物が出たり入ったりする。

 舞台向きだなと思ったら、もともと舞台劇で、2002年に初演し好評を博したという。その舞台からの映画化だった。

 主な登場人物は北見と妻のさくら(薬師丸ひろ子)、撮影助手の誠(濱田岳)、女優志望の蘭子(水川あさみ)、そしてオカマの文太(石橋蓮司が怪演)である。

 限られた空間と少ない登場人物を通して描かれるのは、結婚10年目にして重大な局面を迎えた夫婦のありようである。と言ってもシリアスな劇ではない。コミカルなテイストを基本に、ささやかな日常生活において大切なもの、幸せとは何かを浮かび上がらせていく。

 と、ここまで紹介したけれど、これ以上は書けない。ミステリーではないが、一人一人が秘密や悩みを抱えているばかりか、物語そのものに大きな秘密があるからだ。

 真相が明らかになった時、だからあのセリフがあったのか、あの行動があったのか−と、後で思い当たり、余韻となって感動が広がっていく。

 結末を知った上で、もう一度、見たい作品である。登場人物たちの思いを、セリフの一つ一つを初めて見た時よりも深く味わうことができるのではないだろうか。

 監督は「GO」「世界の中心で、愛をさけぶ」の行定勲である。

■副王家の一族

 タイトルだけからだと中国か韓国映画を想像してしまうが、これがイタリア映画。イタリア統一に揺れる19世紀のシチリア島を舞台にした、ある貴族の一族のドラマである。と言えばルキノ・ヴィスコンティ監督の傑作「山猫」(1963年)が思い出される。

 副王の意味だが、当時シチリアを支配していたスペイン・ブルボン家と関係がある。その王の名で治めていた高位の行政官を副王と呼んだ。登場するのは副王の末裔(まつえい)で、シチリア第2の都市カターニャの貴族ウゼダ家である。

 シチリアと言えばマフィア発祥の地。「ゴッドファーザー」の世界である。子は父を乗り越えられるかが大きなテーマになっていた。「副王家の一族」で描かれるのも父子をテーマにした物語である。が、愛情劇ではない。父と子の確執を描いた憎悪劇だ。

 強欲で横暴な父ジャコモと、反発する長男コンサルヴォの対立を軸に、一族の葛藤と運命が、イタリア統一という激動の歴史のうねりの中でつづられていく。

 久しぶりに多様な人物が織りなす、重厚な歴史ドラマの醍醐味(だいごみ)を味わった。圧倒的な存在感を示すのがジャコモ。彼の人生哲学「人を鍛えるのは憎悪だ」には有無を言わさない説得力があった。監督は「鯨の中のジョナ」のロベルト・ファエンツァ。仙台市内で上映中。

■アバター

 娯楽作ながらジェームズ・キャメロン監督の主張が見え隠れする。軍事力による正義の遂行に対する怒りが感じられる。矛先は当然、覇権主義国家・米国に向いている。

 物語は単純。ある惑星を舞台に、そこの貴重な資源に目を付けた人類が邪魔な存在である先住民ナヴィを圧倒的な軍事力で追い払おうとする。

 出てくる人類が問題。ほとんどが米国人のようだからだ。資源の利権を狙う民間会社も傭兵もみな米国人に見える。西部開拓時代からの力の論理を、宇宙でも行使しようとする話だ。

 ナヴィの社会に送り込まれるのが海兵隊員のアバター(分身)である。その彼がナヴィの女性を好きになり、ナヴィの視点から物事を見始めるようになるところが、この物語の転換点。世界観、価値観が逆転し始めるからだ。

 良識的な人間も登場するが、大半は武力行使に疑問を持たない。がい歌さえあげる。その無神経な人間たちに下される判決が手厳しい。今の米国に対して、キャメロンは”否”を唱えているようだ。現代作家として、力の正義の風潮に対して物申さなければならない使命のようなものを読み取ることができる。

 3Dや創造した世界のすごさが話題になっているが、いろいろな解釈が可能な、かなり寓意的なSF映画だ。人間のままかナヴィになるか、主人公の選択が象徴的だ。


■パブリック・エネミーズ

 世界大恐慌時代の1930年代、鮮やかな手口で銀行を襲い、FBIから史上初の社会の敵(パブリック・エネミー)ナンバーワンに指名された銀行強盗ジョン・デリンジャーを、ジョニー・デップが演じている。

 監督はスタイリッシュな演出を得意とし、「ヒート」「コラテラル」など、硬派なアクション映画を手掛けてきたマイケル・マン。

 この2人の意外な組み合わせが面白い。非情で冷静なプロの犯罪者である一方、大衆からは愛されたデリンジャーをデップが好演。悪役を演じること自体、珍しいが、デップならではの魅力的なアンチ・ヒーロー像をつくりだしている。余分なものをそいだようなマンのハードボイルドタッチな演出が、デップの新たな面を引き出している。

 運命の糸に結ばれた男同士の対決を描いてきたのがまたマンである。今回は捜査官メルヴィン・パーヴィスがそう。デップに対抗できる俳優でなければならず、起用されたのがクリスチャン・ベイル。「ダークナイト」のバットマンだ。

 デリンジャーの恋人に「エディット・ピアフ」でアカデミー主演女優賞に輝いたマリオン・コティヤールが扮(ふん)しているのも見どころ。

 監督としてのジョン・ミリアスの名前を、一躍有名にした「デリンジャー」(74年)という傑作があったが、見比べるのも一興だ。

■ニュームーン

 高校を舞台にした純愛ものなら珍しくないが、好きになった男の子がバンパイア(吸血鬼)の種族だったら話が違ってくる。人間の女の子ベラとバンパイアであるエドワードとの禁断の恋の悲劇を描いたのが「トワイライト 初恋」。第2弾がクリス・ワイツ監督による「ニュームーン」。

 前作で、ベラの幼なじみジェイコブから話だけ聞かされていたバンパイアのライバル、狼(オオカミ)一族が今回姿を現す。さらにイタリアに拠点を置く、強大なパワーを持つ貴族階級のバンパイア一族も登場する。

 2作目はスケール的に大きくなっているし、登場人物たちが交錯してくる。しかも狼一族の血を引くジェイコブもベラに思いを寄せる。危険な恋のトライアングルが2作目最大の見せ場となる。

 バンパイアや狼人間が出てきても、ホラー映画にならないところが、このシリーズの特徴。あくまで人間と、人間でないものの愛の悲劇性を主題とする。全米で若者たちに支持されるのも、そのテーマに共感するからだろう。人間を襲うバンパイアも登場するが、エドワード一家をはじめ何とか人間社会と共存しようとする点も、過去の怪奇映画と一線を画する。

 貴族階級の一員にファコダ・ダニングが出ているのも話題。「トワイライトサーガ」と副題が付いているように物語は続く。彼らの運命がどうなるか、見守っていこう。

■理想の彼氏

 ”ボーイ・ミーツ・ガール”ならぬ”レディ・ミーツ・ボーイ”と言った方がふさわしいかもしれない。製作・脚本も兼ねたバート・フレインドリッチ監督の「理想の彼氏」はハリウッド映画の男女関係が逆転したことを教えてくれる。女性の方が現実的である上に、経済力や生活力もある。社会的地位でさえ上だ。

 そもそもキャスティングの時点で、もう勝負がついている。男優より女優の方が有名で、キャリアも上なのが歴然としているからだ。

 主役を務めるのはキャサリン・ゼダ=ジョーンズ。バツイチの、仕事も優秀な40歳女性を魅力的に演じている。対して男優はジャスティン・パーサ。と言っても「誰?」となるのでは。「ナショナル・トレジャー」シリーズでニコラス・ケイジの相棒を務めていた男優と言えば分かるかも。24歳のフリーター役で、ジョーンズがパーサに子どものベビーシッターを頼むことから、年が離れた2人の物語が始まる。

 終始リードするのはジョーンズの方。大体、子守り役を頼まれたのも安全無害な男と思われたからだ。だから彼女に認められるためには男としてたくましくならなければならない。パーサの成長を描くエピソードがちゃんと挿入される。

 男女の話をコミカルに描いた小品だ。特撮もアクションもない、こんなハリウッド映画をもっと見たいものだ。


■イングロリアス・バスターズ

 クエンティン・タランティーノ監督の新作は、想像を超えた面白さだった。ナチに占領されたパリを主な舞台に、エピソードを重ねながら奇想天外な作戦が展開する。第2次大戦の史実を無視した結末にびっくり。「何でもあり」のタランティーノの世界が炸裂する。

 アクションシーン以上にかたずをのんだのが会話のシーン。ナチ将校がフランス人農民の家を訪れてユダヤ人をかくまっているかどうかを問い詰める場面、ナチに変装した英国将校らと英国の二重スパイであるドイツ人女優が居酒屋でナチの将校と鉢合わせする場面など?。テーブルを挟んで緊張感あふれるやりとりはまさに出色。

 映画オタクのタランティーノらしく全編、映画ネタがいっぱい。西部劇「アラモ」のメロディーが流れ出した時は感動さえ覚えた。クライマックスの舞台が、ユダヤ人女性が経営するパリの映画館。女性監督レニ・リーフェンシュタールらに関するドイツ映画のうんちくがまたたまらない。

 ナチ退治を目的に組織された「イングロリアス・バスターズ」と、ナチに家族を殺害されて復しゅうに燃えるユダヤ人女性の話がメーン。英語、独語、仏語から伊語まで乱れ飛ぶおかしさ。主演はもちろんブラッド・ピットで、交錯するドラマの要的な役割で存在感を示す。見た後に、いろいろと語り合いたい映画に久しぶりに出合った。


■なくもんか

 現代の物語のはずだが舞台となる東京・下町の商店街から醸し出されるのは、あの「ALWAYS 三丁目の夕日」のような懐かしい昭和の空気である。商店街の名称も「善人通り」。ハムカツ店の跡を継いだお人好しの祐太(阿部サダヲ)を中心に、物語がコメディータッチで進んでいく。

 幼少時に生き別れた弟・祐介(瑛太)や、音信不通だった初代店主夫婦の一人娘・徹子(竹内結子)らのエピソードを絡めながら「家族」をテーマにした物語が紡がれていく。3世代が同居した家族の泣き笑いが、隣近所が仲良く暮らす地域社会の中で展開する。

 そう、善人通り商店街はとても居心地がいい。この映画は観客を、特に大人の観客を、まるでタイムマシンで、かつてあったような人情味あふれる世界に運んでくれる。

 監督・水田伸生、脚本・宮藤官九郎コンビの仕掛けがある。本当の家族や兄弟に見えるが、実は”疑似”であるからだ。父親に捨てられ初代店主夫婦に息子のように育てられた祐太、兄弟と偽って他人と漫才コンビを組み別の人生を歩んできた祐介。善人通り商店街も一目でセットと分かるように作られている。

 が、偽りの関係を否定した映画ではない。疑似であっても愛情や助け合い精神があれば、家族も商店街も本物になることを描いている。家族愛をテーマにした現代のメルヘンと言える。


■気になる女優

 ある女優が出ていると気になる映画がある。最近では「あなたは私の婿になる」と「ホワイトアウト」の2本。

 前者はサンドラ・ブロック主演のロマンチック・コメディー。部下に偽装結婚を迫る女性上司が本当にいたら迷惑だが、彼女が演じるとどこか憎めない。

 舞台が部下の実家があるアラスカというのがユニーク。大自然や珍しい習慣、果ては素朴な住民らに翻弄(ほんろう)されるブロックが笑える。このジャンルの女王はメグ・ライアンだったが、今やブロックが1人で頑張っている。移民が絡んだ強制送還といった社会問題がドラマの鍵になっていて、風刺も効いている。監督は40代女性のアン・フレッチャー。

 後者はケイト・ベッキンセールが連邦保安官を演じるサスペンス・アクション映画。任務地が何と南極。そこで奇妙な死体を見つけたところから氷の世界に閉ざされた密室での連続殺人事件に巻き込まれる。

 スリムな体で「アンダーワールド」「ヴァン・ヘルシング」などアクション映画に挑み、新境地を開いてきたベッキンセールが、事件の真相を追って活躍。氷点下50度、時速160キロで吹き荒れる嵐”ホワイトアウト”に襲われながらの、殺人犯との対決が見どころ。監督は「ソードフィッシュ」のドミニク・セナ。

 2本とも仙台圏に足を伸ばして見た。


■THIS IS IT

 マイケル・ジャクソンのファンではないが、予告編に感じるものがあって「THIS IS IT」に足を運んだ。

 周知のように彼は6月25日、50歳で急逝した。映画はドキュメンタリーで、今夏のロンドン公演に向けて4月から6月にかけて行われたリハーサルの模様を中心に編集されている。実現しなかった幻のロンドン公演が映像でよみがえった。

 妥協を許さず、音一つにこだわり、完ぺきなステージを求めてリハーサルに臨む彼の姿がとらえられている。かといって大スターにありがちな高慢さも、おごりもない。

 その光景は意外でもあった。薬物依存や児童性的虐待容疑など、最近は負のイメージが強かったからだ。

「僕の音楽で希望をもってほしいんだ」と語り、スクリーンの中で躍動する姿は、まさに「ポップの帝王」の形容にふさわしく、とても若々しくさえあった。

 リハーサルなのに圧倒される。もしロンドン公演が実現していたなら、ステージは語り草になっただろう。

 「マイケル・ジャクソン仮面の真実」という本を見つけた。著者はイアン・ハルパリン、ポップ・カルチャーに関する調査記事に定評がある。急逝を受けて緊急出版された。本にはリハーサルの時の彼の心理がどんな状態にあったかも記されている。映画を見た後だけに複雑な思いを抱いた。


■香川照之と「カイジ」

 ある組織が、社会の負け組である若者たちを集めてゲームを行い、勝てば借金が帳消しになる。負けた者は地下で永遠の労働に就く−という人気コミックの映画化だが、見どころは藤原竜也でも天海祐希でもない。ゲームを仕切る香川照之だ。

 負けた者の人生なんて知ったことではない、と不敵な笑いを浮かべて挑発するスーツ姿の紳士を楽しそうに演じている。映画「カイジ〜人生逆転ゲーム」は、香川がつくりだす憎々しいキャラクターの魅力で成り立っている。そう断言してもいいくらいの”怪演”を見せている。

 それにしても香川の活躍はめざましい。今の日本映画に欠かせない存在になっている。現在、公開されている映画だけでも「カイジ」のほかに、「沈まぬ太陽」や「20世紀少年 最終章」に出演している。ほかに今年は「劔岳」や「ディア・ドクター」などにも出ていた。カメレオンのように映画によって全く違う顔を見せてくれる。

 1965年、東京生まれ。89年のデビューだから、今年がちょうど20年になる。年齢的にも俳優として一番脂が乗っている時かもしれない。

 「カイジ」のクライマックスは藤原との1対1の対決。藤原が最後に勝つことは分かり切っているが、見たかったのは香川の負け方。意外にも潔くて格好さえ良かった。

 今度はどの日本映画で会えるのか。楽しみだ。

■ヴィヨンの妻

 俳優たちのアンサンブルが楽しい。単に俳優たちの顔見せに終わっていない。

 佐知役の松たか子を中心に物語は展開。夫で作家・大谷役の浅野忠信、昔の恋人で今は弁護士・辻役の堤真一、大谷の愛人である秋子役の広末涼子、佐知に思いを寄せる青年・岡田役の妻夫木聡らが絡み合う。俳優たちの間で次々と化学反応が起きていく。その変化が意表をついていてまた面白い。心理的にサスペンスフルな人間ドラマだ。

 一番の変化を見せるのは佐知だ。道楽で留守がちな大谷に代わって家を病弱な子どもと守ってきた貞淑な妻・佐知が、飲み屋(伊武雅刀、室井滋の夫婦役もいい)で働くことになったのをきっかけに、どんどん変わっていく。強くたくましく、自立した女性に変身していく。妖艶(ようえん)ささえ漂わせる。脚本の田中陽造が松をイメージして5年の構想をかけて書いたというのも納得。

 それにしても、このポジティブな志向は何だろう。確かに心中事件も描かれるが、全体を包み込んでいるのは楽観的な世界観である。「パンドラの匣」もそうだった。原作者・太宰治の意外な面を見る思いだ。監督の根岸吉太郎がモントリオール世界映画祭で監督賞を受賞したのも話題。

 正式なタイトルは「ヴィヨンの妻 桜桃とタンポポ」。太宰の数本の作品からエピソードを集めて1本の物語にした。


■私の中のあなた

 不治の病が題材。この手の映画は苦手で、敬遠しようと思ったが、監督がニック・カサヴェテスと知って興味がわいた。ニックがジョン・カサヴェテスの息子だからだ。

 この父がすごかった。俳優でもあったが、監督として才能を発揮した。普通の人間や家族の在り方に焦点を絞った作品を手掛け続け、商業主義とは一線を画していた。

 そんな父の影響を受けたのがニックだ。「ジョンQ」の時、「父と同じように家族の物語を撮っていた」と語っている。次の「きみに読む物語」は大ヒット。それに続いて作ったのが「私の中のあなた」で、これも家族の物語だ。

 がんに冒された長女を何とか救おうとする母親をキャメロン・ディアスが演じている。長女に確実に訪れる死という厳しい現実を受け入れようとしない母親の物語とも言える。その時、ほかの家族?特に次女(アビゲイル・ブレスリン)?は、どのような行動をとったかが描かれる。

 重い題材ながら深刻ぶることも、感動を押し付けることもない。個人の意志、選択をめぐって物語が法廷に移っていくあたりの展開はドラマチック。判事役のジョーン・キューザック、大物弁護士役のアレック・ボールドウィンが脇を固め、いい味を出している。ベストセラーの映画化だ。

 父ジョンが亡くなったのは1989年。奇しくも没後20年にあたる。


■湖のほとりで


 好きなミステリー小説に、ジョルジュ・シムノンが書いたパリを舞台にしたメグレ警視シリーズがある。意表をつくトリックとか、どんでん返しとかで読ませるわけではない。メグレ警視が捜査を進めていくうちに浮かび上がる登場人物たちの関係や心理描写に重点を置いているところが、とても気に入っている。

 そんな雰囲気を持った映画がイタリアで生まれた。アンドレア・モライヨーリ監督の「湖のほとりで」である。

 北イタリアの山奥の小村で起きた殺人事件。湖のそばで若い女性の全裸死体が発見される。街からやって来たベテラン刑事が家族や恋人、村人たちに聞いて回る。地道な捜査を進める中で浮かび上がってくるのは一人一人が抱える内面的苦悩である。刑事自身も家庭問題で頭を痛めている。

 猟奇的な殺人事件が起きるわけではない。派手なアクションがあるわけではない。それでも目が離せない。ずっと緊張感を強いられる。静謐(せいひつ)な世界に描きだされるのは、登場人物たちの心の奥底にある感情の揺れである。平凡な日常生活に潜む悲しみ、痛みの深さが胸を打つ。人間の心が一番ミステリーということだろうか。

 それにしても北欧のような、この冷たく透徹した世界観に驚いた。イタリアに抱く陽気なイメージはない。原作者がノルウェー出身と知って納得した。仙台で上映中。

■カムイ外伝

 「BALLAD 名もなき恋のうた」をはじめ「TAJOMARU」「カムイ外伝」と、人気若手スターら主演による時代劇が同時に公開されている。珍しいことだ。最も楽しみにしていたのが松山ケンイチ主演「カムイ外伝」。

 忍びの世界から抜け出そうとしたカムイの孤独で凄絶な戦いを描いたのが、白土三平の原作”外伝”だった。個の存在、アウトサイダーを許さないのが組織の体質だが、その組織の追跡をかわしながら個の自由を求めて戦い続けたのがカムイだった。

 物語の底には正編「カムイ伝」の世界で描かれていた被差別問題、身分制度など歴史的、社会的背景が重層的に絡み合っていた。一方で、誰も信じられなくなったカムイの内面の闘いにも迫った。人間性の喪失。自由を得るために失うものの大きさがカムイの悲壮感をきわただせた。

 松山がカムイを演じた映画は、原作に貫かれている非情な世界が表現されている。海の民の生活の中につかの間の安らぎを求めるが、それが長く続くことがないことをカムイ本人が一番知っているという絶望的な戦いが繰り広げられる。斬新でスピーディーな殺陣は見応え十分だが、そこにアクション映画としてのカタルシスを求めるのは間違いだ。カムイの世界を十分に描いたとは言い切れない、と語った崔洋一監督。続編ができることを期待したい。

■競作ココ・シャネル

 偶然か、20世紀のファッション界をリードしてきたデザイナー、ココ・シャネルを描いた映画が2本公開されている。

 クリスチャン・デュゲイ監督の「ココ・シャネル」と、アンヌ・フォンテーヌ監督の「ココ・アヴァン・シャネル」。石巻で公開されているのは後者だが、見比べてみるのも面白い。

 前者は米・仏・伊の3カ国の合作で、英語版。大女優シャーリー・マクレーンが晩年のシャネルを堂々と演じている。回想形式で、若いころのシャネルを好演しているのがバルボラ・ボブローヴァ。カムバックを目指す老シャネルと、ファッション界に名前を売り出していく若きシャネルの姿を交互にドラマチックに描き、娯楽色が強い。

 後者はオドレイ・トトゥを主演にした本家本元フランス映画。フランス語の響きがいい。まだ無名の若いころに焦点を当て、後のスタイル、キャリアをどのように築いていったかを描いている。彼女の人生を左右する2人の男性との関係に重点を置いているあたりはフランス映画らしい。

 2作に共通しているのは男性社会だった時代に自分の考え、生き方をはっきり示し、精神的にも経済的にも自立しようとした1人の女性の姿をファッションを通じて描いている点だ。その生き方は21世紀の現代にも共感を呼ぶ。その結果、競作という形で2本のシャネル映画が生まれた。

■キラー・ヴァージンロード


 俳優の岸谷五朗が監督に挑戦したコメディーである。上野樹里と木村佳乃の共演にも引かれた。

 2人の女優の個性を生かしたロード・ムービーで、そのキャラクターと設定が笑える。何をやってもどん尻から付いたあだ名が「ビリ子」のひろ子(上野樹里)と、誰からも必要とされないために死にたいと思いながらも行動派の福子(木村佳乃)の関係が、まるで漫才のボケとツッコミのようでおかしい。

 ひろ子が結婚式前日にアパートで誤って大家を殺害してしまうのが事件の発端。その死体を隠そうと車で森まで運ぶが、そこで出会うのが自殺願望の福子。暴走族や謎の外人コンビ、ペンションのオーナー、自転車の警察官らが絡み合いながら2人の逃避行劇がドタバタ調に繰り広げられる。

 ひろ子と、いつも見守ってきた祖父のエピソードが物語の鍵を握る。こわもてのイメージがある岸谷だが、出来上がった映画からはロマンチストな面がうかがえ面白い。

 冒頭からミュージカルシーンを取り入れたりと岸谷の遊び心があふれた映画でもある。死体となる大家の役を演じている寺脇康文は、岸谷と劇団のユニットを結成している仲間であるほか、小出恵介、北村一輝、北村総一朗らと意外な顔ぶれがまた楽しい。この秋、日本映画は大作、話題作がそろった。こういう味のある小粒な作品もヒットするとウレシイのだが。

■サブウェイ123 激突

 ニューヨークの地下鉄を乗っ取り、乗客を人質に身代金を要求、期限の1時間が過ぎたら1分に乗客1人ずつを射殺する。

 34年前に見た、ジョゼフ・サージェント監督の「サブウェイ・パニック」は、犯人たちと地下鉄公安局の警部補との息詰まるやりとりもさることながら、犯人たちはどうやって地下から脱出するのか?と、サスペンスとアイデア、時にはユーモアに満ちた、面白さ抜群の犯罪映画だった。

 その傑作がデンゼル・ワシントン、ジョン・トラボルタという大スターの共演で新作となってよみがえった。犯人との交渉役が警部補から地下鉄職員の指令係に変わるなど、現代版にふさわしく物語に”加筆修正”が施されている。

 見どころは文字通り2大スターの激突。犯人側のリーダーにトラボルタ、指令係にワシントンが扮(ふん)し、両雄の火花散る演技合戦はCGなどよりもはるかに手に汗を握るし、人間ドラマとしても見応え十分。警察の人質救出専門家役ジョン・タトゥーロが途中から絡み、これがまたいい味を出している。

 今回、監督はトニー・スコット。切れ味のある演出でニューヨークの空気を切り取ってみせる。人質に犠牲者が出るなど非情なタッチは旧作にないもの。オチは旧作の方が好きだ。

■96時間


 製作、脚本にリュック・ベッソンがかかわったアクション映画が2本、同時に公開されている。「96時間」(ピエール・モレル監督)と「トランスポーター3 アンリミテッド」(オリヴィエ・メガトン監督)。

 うち石巻で公開されているのが「96時間」。主人公は米国政府のために働いてきた凄腕の元工作員ブライアン。一人暮らしの身だが、唯一の生きがいは別れた妻のもとで暮らす一人娘に会うこと。導入部が少しモタモタしているが、娘が旅行先のパリで誘拐されてからは一直線。愛する娘を救出するために培った特殊能力を駆使しながら犯罪組織を相手に、邪魔する者は問答無用で倒していくブライアンの活躍が描かれる。

 演じているのがリーアム・ニーソン。大柄なわりには動きは機敏、重量級のアクションは迫力たっぷり。強くて頼れる父親像の復権ともとれるが、「オレが法だ」という姿に、世界の警察を名乗って正義を振りかざしてきた強い米国が重なった。ブライアンは、パリっ子ベッソンが米国に抱くイメージの集合体なのだろうか。フランス人らしい一流のエスプリと風刺?。いやいや単純な娯楽アクション映画を作りたかっただけかもしれない。東欧系マフィアによる人身売買などパリの裏社会が一番興味深かった。

■ナイトミュージアム2


 1作目の大ヒットを受けて作られたショーン・レヴィ監督の「ナイトミュージアム2」は見どころがいっぱい。

 世界最大の博物館スミソニアンをはじめ、ベン・スティラーとオーウェン・ウィルソンの名コンビの復活、よみがえったアル・カポネやナポレオン、イワン雷帝、カスター将軍といった歴史上の人物たちの迷演技、さらに彫刻の「考える人」やドガの絵の踊り子、巨大なリンカーン像などが動き出したり、有名な写真や絵の世界に入ったりする視覚効果の面白さ?と例を挙げていったら切りがない。

 が、独断と偏見で言わせてもらえれば、一番の見どころは、やはり魔法の石板の力でよみがえったアメリア・イヤハート役のエイミー・アダムスだろう。アメリアは1932年、女性として初めて大西洋単独横断飛行に成功したパイロットである。まだ男性優位社会だった時代に果敢に挑戦した自立心と冒険心を持った女性アメリアを、今、ハリウッドで最も輝いているアダムスが魅力的に演じている。

 「魔法にかけられて」(2007年)以来、気になっている女優で、コメディーができる美人女優としての力量を、ドタバタ調のこの映画でも、いかんなく発揮している。

 米国の歴史や社会を知っていると映画がもっと面白くなる。

■G・I・ジョー

 人気コミック、アニメから派生した映画で、タイトルのG・I・ジョーは人類を守るために世界中から精鋭が集められた最強チームの名称。敵が強力であればあるほど面白くなるわけで世界征服を企むテロ組織コブラが暴れ回る。どんな金属も浸食し破壊してしまうウイルス兵器ナノマイトをめぐり展開する。

 見せ場は両軍団の個性的な精鋭たちによるスピーディーな戦い。武闘、射撃と得意な能力を駆使し死闘が繰り広げられる。美女同士のバトルも見どころ。CGによる特撮も進化、ナノマイトでエッフェル塔が倒壊するシーンには目を見張った。

 派手なアクションばかりに目がいきがちだが、主要キャラクター一人一人をしっかり描いていて、興味深い。彼らの過去を簡潔に紹介、これが現在に因果関係となって絡み合ってくる。

 韓国の人気スター、イ・ビョンホンの出演が話題。ほかに有名スターはデニス・クエイドくらいかなと見ていたら、ブレンダン・フレイザーがチラッとだが出ていてびっくり。そう言えば監督はスティーブン・ソマーズ。「ハムナプトラ」シリーズのコンビだ。フレイザーは特別出演だったようだ。もう1人、コブラ側にも出てくる。こちらは、ちゃんとした出演。というより2作目の鍵を握る人物となる。何と物語は続くのである。

■サガン・悲しみよ こんにちは

 18歳の時「悲しみよ こんにちは」で作家デビューを果たしたフランスの女流作家フランソワーズ・サガン(1935?2004年)の半生を描いた、とても興味深い映画である。が、正統派の伝記映画とはちょっと違う。交友関係を中心にした作りになっているためで、そこから明らかになるのは一つのイメージではとらえきれないサガンという女性の人間性、生き方、スタイルである。

 「自立した自由な女性。ボヘミアン的シック。聡明(そうめい)なものと軽薄なものという矛盾したものが共存」

 「常に人生をあるがままに生きた。不作法であると同時にとても品の良い人。自己規制を一切しない人物」

 監督のディアーヌ・キュリスと、サガンを演じたシルヴィ・テステューがそれぞれサガンについて語ったコメントである。2人の見方からもサガンのさまざまな面が浮かび上がる。しかも、どれもサガンである。

 「サガンに張るラベルは存在しない」。テステューの指摘がすべてを言い表しているように思える。これこそサガンの魅力の正体かもしれない。

 映画が描こうとしたのも、まさにその魅力そのものだ。「サガンの最も美しい作品は彼女の人生」。キュリス監督の言葉が映画を見ると分かる。

■アマルフィ 女神の報酬

  織田裕二が新たなキャラクター、黒田という外交官に挑んでいる。原作は真保裕一で、全編イタリア・ロケが話題。黒田は赴任早々、クリスマスを目前にしたローマの街で、日本人少女の失踪事件に巻き込まれる。その母親(天海祐希)を助けるはめになる。事件の鍵となるアマルフィは、イタリア南部にある街並みの美しい町。ともすると観光名所的に描いてしまいがちだが、西谷弘監督はきちんと物語の舞台として描写している。

 織田と佐藤浩一、福山雅治の共演がまた見どころ。冷静沈着な黒田と、助手のような慌て者の安達(戸田恵梨香)のやりとりが意外に面白い。

 クライマックスは人気歌手サラ・ブライトマンのコンサートと、国際情勢を絡めた要人襲撃という意外な方向に発展する事件が同時進行で描かれ、サスペンスを盛り上げる。監視カメラを小道具にした脚本がうまい。

 事件はそれぞれの胸に何かを残す。映画は大みそかを迎えたローマの街の実景で終わる。ローマっ子たちの新年を祝う表情がいい。サラの歌が重なるこのエンディングが好きだ。希望に満ちていて、登場人物たちの人生に祝福を送っているようだ。

 「踊る」の明るい青島とは対照的な黒田は、織田にとって代表的な役になるだろう。安達とのコンビでまた見てみたい。

■ノウイング


 ニコラス・ケイジ扮(ふん)する大学教授ジョンが、50年前に少女によって書かれた数字の列に、ある法則を見つけて謎解きするうちに驚くべき真相を突き止める。それは…。

 見ていて、これはM・ナイト・シャマラン監督の作品か?と思うほど、超常的な出来事が次々起きる。ジョンには聞こえず一人息子だけに聞こえるささやき声とか、彼らを監視しているような不気味な男たちの存在とか、50年前の少女の身に起きたこととか、何かしら人智を超えた力がずっと働いている。

 よくミステリー映画、オカルト映画などとジャンルを区分けするが、「ノウイング」に限って一つのジャンルに収めることはできない。これが逆にこの映画の魅力になっている。ホラーであり、ミステリーであり、SFでもあるからだ。父と子、家族愛の物語でもある。終末観と希望を提示した哲学的な映画とも言えそうだ。

 さて、監督はアレックス・プロヤスだった。5年前にウィル・スミス主演で「アイ、ロボット」を手掛け大ヒットさせた。そのときも感じたが、単にハリウッドらしい娯楽大作に仕上げていないのがプロヤス監督の特徴。映像のすごさより思想の部分を大事にしているという。結末をどう見るか、観客一人一人が考えるように仕向けている。

■ウィッチマウンテン/地図から消された山

 タイトルに引かれた。UFO(未確認飛行物体)を題材にした娯楽映画だった。ユーモア感覚に満ちた、往年のハリウッド映画のような面白さがあった。

 UFOの存在を全く信じないタクシー運転手が主人公で、彼が不思議な能力を持つ少年と少女を乗せたことから、政府の組織や不気味な暗殺者に追われるはめになる。兄と妹という2人が目指しているのが、地図上には存在しない山であることも分かってくる。追いつ追われつのアクションの連続で、「Xファイル」のようなミステリアスな要素を盛り込みながら事件の核心へと迫っていく。UFOマニアたちの祭典がドラマの盛り上げに一役買っていて面白い。

 タクシー運転手役はドウェイン・ジョンソン。プロレスラー時代はザ・ロックと言った。彼が貯金して買おうとしている名車がある。「ブリット」(1968年)で、スティーブ・マックィーンが乗っていた車で、それにあこがれていることを話すシーンがある。物語とは直接関係ないが、こういうやりとりが米映画でよく見られる。映画ファンの心をくすぐってくれる。

 この映画は「星の国から来た仲間」(75年)のリメーク。監督はアンディ・フィックマン。製作はディズニーで、子どもから大人まで楽しめる出来になっている。仙塩圏で上映中。

■トランスフォーマー/リベンジ

 金属生命体の善と悪が地球を舞台に再び死闘を繰り広げる。2年前に大ヒットした「トランスフォーマー」の続編だが、サブタイトル通り1作目で敗れた悪のディセプティコン軍団が、善のオートボット軍団へのリベンジ=復讐(ふくしゅう)を誓い、地球破壊をたくらむ。

 再び両者の戦いに巻き込まれるのがサム(シャイア・ラブーフ)と恋人ミカエル(ミーガン・フォックス)で、地球の危機に立ち向かう。ほかの主な人物たちが1作目に続いて出演。中でもうれしいのが政府の秘密機関で働いていたシモンズ元捜査官の再登場。個性派の名優ジョン・タトゥーロが再び怪演、今回は映画の後半で大活躍する。

 1作目は「驚異の映像革命」と言われたが、2作目はさらに進化。新キャラクターも含めて金属生命体のトランスフォーム(変身)シーンは圧巻。「ターミネーター」を意識したような金属生命体も登場する。スケールもアップ。中国、フランス、エジプトと戦いの場が広がっている。特別許可されたピラミッドでの撮影が見どころ。

 前回も指摘したが、CGだけに頼らず、米国海軍などの協力を得た実写へのこだわりが迫力ある戦闘シーンを生んでいる。監督も前作に続きマイケル・ベイ。2時間半の大作に”変身”である。

■愛を読むひと


 年上の女性と出会い、愛した少年の物語?と、言ってしまえば今まで何度も描かれてきた。が、ベルンハルト・シュリンクのベストセラー小説「朗読者」を映画化した、スティーヴン・ダルドリー監督の「愛を読むひと」は、そう単純ではない。舞台となっているドイツが、ドラマに、そして登場人物たちの人生に大きな影響をもたらす。

 劇にたとえるなら3幕から成り立っている。第1幕は年上の女性ハンナと出会った15歳のマイケルのひと夏の体験とハンナの謎の失踪(しっそう)。第2幕は8年後の大学法科で学ぶマイケルが裁判の傍聴で被告席にハンナの姿を見つける。ハンナの過去が明らかになっていく。第3幕は年老いたハンナのために今や弁護士のマイケルがとった行為と、ある決意である。

 かといって物語は年代順に分かりやすく進むわけではない。現在と過去を交錯させる凝った構成で、ミステリー的要素もある。マイケルの視点、ハンナの人生から浮かび上がるテーマが重く、映画(原作)を特異なものにしている。ナチ政権下に行われたユダヤ人の虐殺という負のドイツ史である。”ナチの過去”と向き合うことになる。朗読という行為が何重の意味を持ってくる。ケイト・ウィンスレットがハンナ役で、アカデミー賞主演女優賞に輝いた。

■ターミネーター4

 過去3作品とマックG監督の4作目がリンクし、現在と未来を結ぶ壮大なターミネーター・ワールドが築き上げられる。

 低予算映画で誰も期待していなかった1作目(1984年)がヒットしたのが始まり。1、2作目(91年)を監督したジェームズ・キャメロンの「未来において人間とテクノロジー(マシン)が衝突する」というビジョンが観客の心をつかんだ。

 3作目(2003年)から6年ぶりとなる「4」は見どころが多い。大きな違いは時代背景だろう。3作目までは「現代」が舞台だったが、今回初めて人類対マシンが壮絶な戦いを繰り広げる「未来」が描かれる。

 シリーズの顔だったアーノルド・シュワルツェネッガーは今回、出演していない?−が、代わりに人類のリーダーとなる戦士ジョン・コナーに、クリスチャン・ベールがふんしているのが話題。「ダークナイト」でバットマンを演じた俳優だ。

 人間からアンドロイドに改造された新キャラクターも登場する。体はマシンだが、人間の心を持った”彼”の過酷な運命との闘いがドラマに深みをもたらしている。カイルという少年にも注目。その成長した姿が1作目でマイケル・ビーンが演じた戦士である。終末を象徴するようなザラザラした質感のある映像がまた魅力。

■スター・トレック

 「スター・トレック」は、もともと1960年代にテレビでスタートした。惑星連邦船USSエンタープライズの、カーク船長とバルカン人のスポックを中心にした乗組員たちの、宇宙での活躍が人気を呼んだ。日本では「宇宙大作戦」として放映された。70年代後半には映画化もされ、10本も作られた。

 今回11本目となる劇場版を監督したのがJ・J・エイブラムス。テレビで放映が始まった66年生まれだから、直接見て育ったわけではない。どちらかと言えば、後のSF映画の大ブームを巻き起こした「スター・ウォーズ」(77年)世代だ。が、エイブラムス版は、60年代当時のオリジナル精神を引き継ぎながらファンを新たな世界に誘う。

 設定がうまい。23世紀の宇宙を舞台にカークやスポックらの若かりしころに焦点を当てているからだ。彼らはどのように出会い、エンタープライズの一員になったのか。ファンが初めて知る若き日のエピソードが興味深い。惑星連邦の危機を前に、彼らが心を一つにしていく姿をドラマチックに描いている。

 復讐(ふくしゅう)のために未来からやって来た謎の巨大な宇宙船との対決が見どころ。ファンのために驚きの出会いも用意。久々、ウィノナ・ライダーの出演もうれしい。新シリーズの始まりを予感させる。

■お買いもの中毒な私!

 ロマンチック・コメディーだが、基本はドタバタ。買い物好きというよりブランド品に目がない買い物中毒のレベッカ(アイラ・フィッシャー)のハチャメチャな奮闘記である。

 自分の収入より高い買い物したり、債権回収人に追われたりと、まさにカード時代が生んだヒロインという感じだ。買い物中毒の果てが親友を裏切ることになるばかりか、思いを寄せている男性からは見放される。

 でも、なぜか憎めない。私生活では破産寸前のレベッカが皮肉にも経済誌に転職して、自分の人生を見直そうと懸命に頑張る姿に観客は応援してしまう。意志が弱いために”誘惑”に負けるあたりに等身大のヒロイン像を見て共感するのだろう。

 ショーウインドーのマネキンがレベッカに次々とブランド品を薦めるシーンが面白い。ラストには、このマネキンたちがレベッカに粋な賛辞を贈る。

 脇役に意外な俳優をそろえているのも見どころ。最近スクリーンで見かけなくて気になっていた男優が2人も出演していたのには驚いた。ジョン・グッドマンとジョン・リスゴーだ。ジョーン・キューザック、クリスティン・スコット・トーマスの2人の女優も個性的な魅力を発揮。監督はP・J・ホーガン。大ヒット作「ベスト・フレンズ・ウェディング」がある。

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