最近話題の映画などを記者の目からご紹介しているコラムです。

■トランスフォーマー/リベンジ

 金属生命体の善と悪が地球を舞台に再び死闘を繰り広げる。2年前に大ヒットした「トランスフォーマー」の続編だが、サブタイトル通り1作目で敗れた悪のディセプティコン軍団が、善のオートボット軍団へのリベンジ=復讐(ふくしゅう)を誓い、地球破壊をたくらむ。

 再び両者の戦いに巻き込まれるのがサム(シャイア・ラブーフ)と恋人ミカエル(ミーガン・フォックス)で、地球の危機に立ち向かう。ほかの主な人物たちが1作目に続いて出演。中でもうれしいのが政府の秘密機関で働いていたシモンズ元捜査官の再登場。個性派の名優ジョン・タトゥーロが再び怪演、今回は映画の後半で大活躍する。

 1作目は「驚異の映像革命」と言われたが、2作目はさらに進化。新キャラクターも含めて金属生命体のトランスフォーム(変身)シーンは圧巻。「ターミネーター」を意識したような金属生命体も登場する。スケールもアップ。中国、フランス、エジプトと戦いの場が広がっている。特別許可されたピラミッドでの撮影が見どころ。

 前回も指摘したが、CGだけに頼らず、米国海軍などの協力を得た実写へのこだわりが迫力ある戦闘シーンを生んでいる。監督も前作に続きマイケル・ベイ。2時間半の大作に”変身”である。

■愛を読むひと


 年上の女性と出会い、愛した少年の物語?と、言ってしまえば今まで何度も描かれてきた。が、ベルンハルト・シュリンクのベストセラー小説「朗読者」を映画化した、スティーヴン・ダルドリー監督の「愛を読むひと」は、そう単純ではない。舞台となっているドイツが、ドラマに、そして登場人物たちの人生に大きな影響をもたらす。

 劇にたとえるなら3幕から成り立っている。第1幕は年上の女性ハンナと出会った15歳のマイケルのひと夏の体験とハンナの謎の失踪(しっそう)。第2幕は8年後の大学法科で学ぶマイケルが裁判の傍聴で被告席にハンナの姿を見つける。ハンナの過去が明らかになっていく。第3幕は年老いたハンナのために今や弁護士のマイケルがとった行為と、ある決意である。

 かといって物語は年代順に分かりやすく進むわけではない。現在と過去を交錯させる凝った構成で、ミステリー的要素もある。マイケルの視点、ハンナの人生から浮かび上がるテーマが重く、映画(原作)を特異なものにしている。ナチ政権下に行われたユダヤ人の虐殺という負のドイツ史である。”ナチの過去”と向き合うことになる。朗読という行為が何重の意味を持ってくる。ケイト・ウィンスレットがハンナ役で、アカデミー賞主演女優賞に輝いた。

■ターミネーター4

 過去3作品とマックG監督の4作目がリンクし、現在と未来を結ぶ壮大なターミネーター・ワールドが築き上げられる。

 低予算映画で誰も期待していなかった1作目(1984年)がヒットしたのが始まり。1、2作目(91年)を監督したジェームズ・キャメロンの「未来において人間とテクノロジー(マシン)が衝突する」というビジョンが観客の心をつかんだ。

 3作目(2003年)から6年ぶりとなる「4」は見どころが多い。大きな違いは時代背景だろう。3作目までは「現代」が舞台だったが、今回初めて人類対マシンが壮絶な戦いを繰り広げる「未来」が描かれる。

 シリーズの顔だったアーノルド・シュワルツェネッガーは今回、出演していない?−が、代わりに人類のリーダーとなる戦士ジョン・コナーに、クリスチャン・ベールがふんしているのが話題。「ダークナイト」でバットマンを演じた俳優だ。

 人間からアンドロイドに改造された新キャラクターも登場する。体はマシンだが、人間の心を持った”彼”の過酷な運命との闘いがドラマに深みをもたらしている。カイルという少年にも注目。その成長した姿が1作目でマイケル・ビーンが演じた戦士である。終末を象徴するようなザラザラした質感のある映像がまた魅力。

■スター・トレック

 「スター・トレック」は、もともと1960年代にテレビでスタートした。惑星連邦船USSエンタープライズの、カーク船長とバルカン人のスポックを中心にした乗組員たちの、宇宙での活躍が人気を呼んだ。日本では「宇宙大作戦」として放映された。70年代後半には映画化もされ、10本も作られた。

 今回11本目となる劇場版を監督したのがJ・J・エイブラムス。テレビで放映が始まった66年生まれだから、直接見て育ったわけではない。どちらかと言えば、後のSF映画の大ブームを巻き起こした「スター・ウォーズ」(77年)世代だ。が、エイブラムス版は、60年代当時のオリジナル精神を引き継ぎながらファンを新たな世界に誘う。

 設定がうまい。23世紀の宇宙を舞台にカークやスポックらの若かりしころに焦点を当てているからだ。彼らはどのように出会い、エンタープライズの一員になったのか。ファンが初めて知る若き日のエピソードが興味深い。惑星連邦の危機を前に、彼らが心を一つにしていく姿をドラマチックに描いている。

 復讐(ふくしゅう)のために未来からやって来た謎の巨大な宇宙船との対決が見どころ。ファンのために驚きの出会いも用意。久々、ウィノナ・ライダーの出演もうれしい。新シリーズの始まりを予感させる。

■お買いもの中毒な私!

 ロマンチック・コメディーだが、基本はドタバタ。買い物好きというよりブランド品に目がない買い物中毒のレベッカ(アイラ・フィッシャー)のハチャメチャな奮闘記である。

 自分の収入より高い買い物したり、債権回収人に追われたりと、まさにカード時代が生んだヒロインという感じだ。買い物中毒の果てが親友を裏切ることになるばかりか、思いを寄せている男性からは見放される。

 でも、なぜか憎めない。私生活では破産寸前のレベッカが皮肉にも経済誌に転職して、自分の人生を見直そうと懸命に頑張る姿に観客は応援してしまう。意志が弱いために”誘惑”に負けるあたりに等身大のヒロイン像を見て共感するのだろう。

 ショーウインドーのマネキンがレベッカに次々とブランド品を薦めるシーンが面白い。ラストには、このマネキンたちがレベッカに粋な賛辞を贈る。

 脇役に意外な俳優をそろえているのも見どころ。最近スクリーンで見かけなくて気になっていた男優が2人も出演していたのには驚いた。ジョン・グッドマンとジョン・リスゴーだ。ジョーン・キューザック、クリスティン・スコット・トーマスの2人の女優も個性的な魅力を発揮。監督はP・J・ホーガン。大ヒット作「ベスト・フレンズ・ウェディング」がある。

■天使と悪魔


 ダン・ブラウンの小説「天使と悪魔」を、「ダ・ヴィンチ・コード」に続いてロン・ハワード監督が映画化。カトリック教会から弾圧されてきた歴史を背景に、カトリックの総本山バチカンに復讐を果たすために科学者集団イルミナティがよみがえる?−というミステリー。

 ハーバード大学の宗教象徴学の権威ラングドン教授(トム・ハンクス)が再登場。一緒に行動するのが、反物質の開発に成功した女性科学者ヴィットリア(アイェレット・ゾラー)。

 新教皇を選ぶコンクラーベの日に、四人の教皇候補者が誘拐される。同時に反物質を利用した時限爆弾がバチカン市内に仕掛けられる。四百年前にガリレオによって書かれた書を唯一の手掛かりに、ラングドンが推理を働かせるところが見どころ。

 これが一日の事件として描かれるからめまぐるしい。時間との勝負、さらに行動が制約されるバチカンが舞台という要素がサスペンスを盛り上げる。興味深いのは科学と宗教の対立、その根深さは日本人に理解できない面もある。ユアン・マグレガーの司祭役にも意味がある。

 原作にない人物を登場させたり、設定を大胆に変えたりして演出にスピード感を出すなど工夫、原作の映画化はこうするとうまくいく?といった、お手本のような出来だ。

■余命1ヶ月の花嫁


 テレビでドキュメントとして放映されるなど多くの人が知っている実話の映画化である。悲劇性を強調した感情過多な、お涙ちょうだい式のドラマになっているような気がして正直最初は敬遠した。ところが監督が廣木隆一と知って興味がわいた。寺島しのぶ主演の「ヴァイブレータ」(二〇〇三年)が国内外で評価された人である。もしかしたらという期待に変わった。

 乳がんに冒された若いヒロイン(榮倉奈々)と、彼女を支える青年(瑛太)の物語を客観的な視点でとらえた演出が好ましい。この種の実話の映画化に見られる感動の押し売りがない。厳しい現実と向き合いながら、今を懸命に生きようとする二人を、カメラは適度な距離を保って見つめていく。

 かといって冷たく突き放している感じはない。好きなシーンがある。二人が夜の街を自転車で疾走するシーンだ。風を切る感覚に生きている実感が伝わってくる。ヒロインが屋久島を訪れるエピソードも印象的。大自然の中にあふれる生命力に包み込まれ、祝福されているような生の神秘に満ちている。

 だからこそ死の不条理さが浮かび上がってくる。明日が来ないとは、愛する人を失うとは、どういうことか?を考えさせられる。ヒロインの父親役・柄本明がまたいい。


■新宿インシデント

 ジャッキー・チェンが新たな役に挑んだ衝撃作である。

 カンフーを生かしたコミカルな役柄のイメージが強いが、チェンも五十五歳。俳優としてのターニングポイントにさしかかっている。そこで選んだ「新宿インシデント」は今までのイメージを覆すほど。暴力描写も強烈な犯罪映画である。製作総指揮を兼ねるばかりか得意のカンフーも”封印”、この映画にかける意気込みは相当なもの。

 恋人の行方を追って、日本に密入国した中国人・鉄頭の生きざまを強烈に演じる。誠実で真面目な男が、不法滞在がゆえに裏社会に生きるしかなく、否応なく日本のヤクザとかかわるうちに中国人組織のドンに目されるようになる。そんな鉄頭の生き方、運命を通して見えてくるのは日本の不寛容な移民受け入れ問題であり、不法入国した中国人らによる独自のコミュニティーの存在などである。

 中国人移民の生き方を、中国人の視点で真正面から描いていて興味深い。本格的な新宿ロケがまた、多国籍の街と言われる新宿を生々しくとらえている。監督のイー・トンシンは十年以上も前から、この題材の映画化を進め、リサーチを重ねてきたという。日本からは竹中直人が刑事役を好演。加藤雅也、峰岸徹、倉田保昭、拳也ら個性派が脇を固めている。

■グラン・トリノ

 「グラン・トリノ」は、約五十年に及んで監督・俳優として足跡を記してきたクリント・イーストウッドが、出した一つの答えではないだろうか。

 妻の葬儀に立ち会う夫のコワルスキーがイーストウッドの役だが、最初は決して”いい人”ではないところがミソ。人嫌いの頑固な老人で、一人暮らしとなった家の周囲がアジア系移民に占められていくことを不愉快に感じ、平然と人種差別的な発言さえする。朝鮮戦争で若い敵兵を殺したことが罪悪感となっていることが徐々に分かるが、神にさえ心を開こうとしない。

 そんな偏屈のポーランド系白人を余裕しゃくしゃく演じる。時にはユーモアさえ漂う。「ミステッィク・リバー」「ミリオンダラー・ベイビー」「チェンジリング」といった最近の監督作品からは想像できないコミカルな人間味に驚きつつも、イーストウッドが示そうとしたのがまさに愛情であり、ぬくもりだった。それはコワルスキーの内的変化に見ることができる。

 これまでの作品と決定的な違いは逃れられない暴力への対処だ。暴力には暴力で解決したのが彼を大スターにした「ダーティハリー」だった。が、この映画で彼の取った行動は尊い犠牲的精神の上に成り立っていた。涙さえ見せる。七十八歳にしてたどりついた境地にただ拍手。


■GOEMON


 半村良の伝奇歴史小説を夢中で読んだ時があった。別の視点から描かれた日本史が知の刺激に満ちていた。紀里谷和明監督の「GOEMON」を見ながら思ったのはまさに「これは半村良の世界じゃないか」だった。

 登場する歴史上の人物は、織田信長(中村橋之助)、豊臣秀吉(奥田瑛二)、徳川家康(伊武雅刀)ら。彼らの天下統一という野望を縦軸に石川五右衛門(江口洋介)、霧隠才蔵(大沢たかお)、石田三成(要潤)らが縦横無尽に活躍する。

 五右衛門が手に入れた”パンドラの箱”をめぐって展開。明智光秀の裏切りによる本能寺の変に隠された真相にびっくり。日本史への新しいアプローチというか、自由な発想による戦国絵巻にワクワクした。家康によって日本は、三百年近く太平を保つが、なぜそうなったか。この映画の解釈が斬新だ。

 ただ「CASSHERN」の紀里谷作品であることを覚悟しなければならない。本格的な時代劇を期待してはいけない。CGを多様し、戦国時代の日本であるような、ないような世界観を独自の映像美で創りだしているからだ。この辺が意見の分かれるところかもしれない。

 茶々に広末涼子、利休に平幹二朗、猿飛佐助にゴリ、服部半蔵に寺島進とにぎやか。玉山鉄二も意外な役に挑んでいる。

■クローズZERO2.

 興行収入が前作を上回る勢いという。何が引き付けるのだろうか。ケンカ・ファイトを売り物にした硬派な男性アクション映画にもかかわらず、小栗旬、山田孝之、金子ノブアキ、三浦春馬らと旬のスターが大挙して出演しているせいか、見た日は若い女性客の方が圧倒的に多かった。でも、この映画の魅力はこれだけではないだろう。心の奥底に触れるものがあるからこそ大人の観客も呼び込んでいるに違いない。

 一作目の時、アナーキー精神に満ちた反社会的な不良映画?と紹介した。既成の枠にはまらない、体制に順応しようとしない、自分の力だけを信じて戦う不良高校生たちの放つ純粋なエネルギーは今回も健在? 前作が校内での争いだったのに対し続編はスケールアップ、ライバル校との激突に発展する。

 決して”仁義なき戦い”とならない点がいい。武器は使わず素手での戦いにこだわる清さ。策をろうせず真正面から堂々と渡り合う格好良さ。岸谷五朗や遠藤憲一ら大人たちのヤクザ世界と比べ、不良高校生たちの世界にはドロドロとした醜いものがない。一作目では主人公たちの兄貴的存在だった、やべきょうすけが今回もいい。

 心意気さえ感じられる。「ヤッターマン」も好評で続映中。三池崇史監督、乗っている。

■ウォッチメン


 「ウォッチメン」は、一九八〇年代半ばに出版され、全米史上、最高傑作と言われたコミックスの映画化。利府に見に行った決め手は監督が「300 スリーハンドレッド」のザック・スナイダーだったこと。さらに何人ものマスクを着けたヒーロー(ヒロイン)が登場することだった。

 一九八五年のもう一つの米国が舞台という発想が大胆。ヒーローたちの”活躍”で、別の道を歩んだ米国の現代史が示される。ベトナム戦争に勝利し、ニクソンは失脚せず、政権が続いている。その間にソ連との核戦争が迫るという、暴力と絶望が支配する社会が描かれる。

 そこでヒーローたちが立ち上がるならまだしもだが、自警団禁止の法律が制定されて活動を封じられている。しかも、そのうちの一人といえ、ヒーローが殺されてしまう。

 その衝撃。ヒーローたちのイメージもだいぶ違う。歴史の裏で暗躍してきたことさえにおわせる。ヒーロー神話の破壊。もろかった安心・安全な社会。仮想の米国社会に描かれる架空の物語は、現実社会そのものという毒気と狂気に満ちていた。

 映画は、仲間を殺された真相を探ろうと戦うヒーロー、ロールシャハの独白で進む。ハードボイルドタッチが魅力的。約二時間四十分が短く感じられる。

■ワルキューレ

 ブライアン・シンガー監督がヒトラー暗殺計画を題材に「ワルキューレ」を作ったと聞いて仏大統領ドゴール暗殺計画を描いたフレッド・ジンネマン監督の「ジャッカルの日」(一九七三年)を思い出した。共通点は両者とも暗殺されなかったという歴史的事実だ。「結果」は分かっているが、それでも緊迫感あるドラマに手に汗を握った。

 違いは「ジャッカルの日」は原作があり完全なフィクションだった。創作の自由があった。これに対し「ワルキューレ」は史実を基に、実際に未遂に終わった暗殺計画を扱っている。

 シンガーは、祖国ドイツ救済のためにヒトラー暗殺に立ち上がった男たちの崇高な人間ドラマにした。目標達成に向けて後戻りできなくなった男たちの心理と行動をサスペンスフルに描く。暗殺実行の中心となるのがトム・クルーズ演じる軍人。戦闘で右腕と左目、左手の二本の指を失いながら祖国のために命をかける軍人役に挑んでいる。

 ドイツがヒトラー一辺倒ではなく、ドイツ国民の中にも独裁者に反感を抱く軍人や政治家、経済人らがいたこと、その彼らがヒトラーを暗殺することで連合国側との終戦の形を探ろうとしたことに興味を覚えた。

 ユダヤ人であるシンガーの力作。セリフがドイツ語だったならもっと迫真性に満ちていた。

■イエスマン

 ジム・キャリーには、やはりコメディーがぴったり。ペイトン・リード監督作品「イエスマン」は、タイトル通りどんな申し出にも「YES(イエス)」と答えざるを得なくなった銀行マン、カールの身に起きた出来事が描かれる。

 ただ面白おかしく展開するのではない。最初は友達関係も仕事もすべて否定的にとらえる男として登場する。しかし”YESセミナー”の創始者テレンスとの出会いが、代わり映えのしなかったカールの人生を変えていくところが見どころ。

 カール役がキャリーで、後ろ向きの人生よりもポジティブなものの考え方や生き方の素晴らしさを観客に伝えたかったという。「イエス」が楽しい人生へのパスワードとして使われる。ドタバタ調に笑いながらも、観客は無意識のうちに自分の生き方と照らし合わせているはず。

 映画だからこその物語と思う人もいるだろうが、原作があって実際に「イエス」と言い続けて実践したダニー・ウォレスの実話が基になっているという。

 キャリーのワンマンショーになっていないところもいい。脇役が魅力的。恋人アリソン役のゾーイ・デシャネルは注目株。創始者テレンスを演じているのが英国の名優というか怪優のテレンス・スタンプで、「ワルキューレ」にも出演している。

■ヤッターマン


 宮藤官九郎監督の「少年メリケンサック」、三池崇史監督の「ヤッターマン」。ともに気になる監督作品が続いた。結果は後者の方が面白かった。

 どちらも監督自ら楽しんで作ったことは伝わってきた。が、この差は何だろうか。行き着いた一つの答えが、演出家として求められる作品との距離。自ら楽しむのはいいが、はしゃぎすぎたのが宮藤監督。自分が楽しければ他人も楽しいはず−と思い込んで、独りよがりの作品になってしまった。

 これに対して三池監督は、どのように作れば観客を楽しませることができるか−と、演出家として冷静な視点も持ち合わせていた。一九七〇年代の人気テレビアニメの実写化に挑み、映画としてできる可能性にも挑戦していた。

 演出が型破り。伝説の石ドクロストーンをめぐる物語だが、悪のドロンジョ一味と、ヤッターマン一、二号の対決を、ばかばかしいほどナンセンスに描いている。そのハチャメチャぶりが、閉塞(へいそく)的な現代社会に風穴をあけるようなエネルギーに満ちていた。

 これは三池監督の作家精神かもしれない。「クローズZERO」の時も、アナーキーな精神が表層的な平和社会を打ち破っていた。「クローズ」の続編も近くお目見えする。楽しみだ。

■ジェネラル・ルージュの凱旋


 前作「チーム・バチスタの栄光」は一種の密室劇で本格的なミステリーだった。二作目「ジェネラル・ルージュの凱旋」は趣が違う。同じ病院内を舞台にしているが、救命救急センター長と医療メーカーが癒着しているという告発文が物語の発端。救命救急の医療現場と合理化・経費削減を目指す病院経営側の間の対立が浮かび上がる。二作目は社会派タッチで迫る。

 鍵を握るセンター長・速水を演じるのが堺雅人。本意がどこにあるのか、つかみどころのない役をやらせたなら本当にうまい。なぜジェネラル・ルージュ(血まみれ将軍)と呼ばれるのか。意外な真相が感動を呼ぶ。

 テーマは重いが、基本はコメディー。今回も窓際医師・田口(竹内結子)と厚生労働省の役人・白鳥(阿部寛)の迷コンビぶりが見どころ。何の役にも立っていないような田口の存在がいい。欲と陰謀が渦巻くドラマに一服の清涼剤のような作用を果たしている。合理化・効率化がすべてのような現代社会にあって、ぬるい田口のキャラクターが独自の魅力を与えている。

 本物の病院ロビーでエキストラを多数使った救急活動が見せ場。チーム・バチスタのメンバーの登場はうれしいサービス。監督は前作に続いて中村義洋。「フィッシュストーリー」も控えており、乗りに乗っている。

■オーストラリア

 監督のバズ・ラーマンも、主演のニコール・キッドマン、ヒュー・ジャックマンもみなオーストラリア出身である。「オーストラリア」はオーストラリア出身の映画人たちによって、太平洋戦争前夜の故国を舞台に繰り広げられる壮大な物語だ。

 いがみ合いながらも互いに引かれていく男と女のメロドラマに「風と共に去りぬ」を連想したり、牛の群れを移動させるスペクタクルに西部劇を感じたりしながら見ているうちに二時間四十五分が過ぎる。

 興味深いのは先住民アボリジニに対して差別をとり続けた白人社会の描き方である。キッドマン演じるサラが最後にアボリジニの少年の生き方を尊重するシーンは、その意味で象徴的。

 オーストラリアの大自然、風土、歴史、国民性などがすべて盛り込まれていて、オーストラリア賛歌の趣さえある。

 悪役も登場するが、最大の敵が日本軍という点に複雑な思いも抱いた。日本軍によるオーストラリア本土空爆は意外と知られていない史実かもしれない。日本軍機のシーンに見覚えがあると思ったら「トラ!トラ!トラ!」(一九七〇年)から借用したものだった。両作品とも20世紀フォックス映画であることに気づいた。最大の魅力はキッドマンの美しさ、ジャックマンの野性味かもしれない。

■チェンジリング

 一九二八年にロサンゼルスで実際にあった事件の映画化である。”神隠し”にあった一人息子を取り戻すために闘うシングル・マザーをアンジェリーナ・ジョリーが演じている。当時ロス市警は腐敗しきっていて権力を傘に都合の悪いことは排除、異議を唱える市民を強制的に施設に送った。ジョリーが闘う相手が、このロス市警である。

 何の力も持たない個人が、事件の真相を求めて巨大な権力に立ち向かう。クリント・イーストウッド監督が追求してきたテーマで、「わたしはいつも組織の腐敗を憎んできた」と、あるインタビューで答えている。

 イーストウッド自身、演じてきたヒーローは”孤高の騎士””最後の個人主義者”と呼ばれてきた。その個人が女性、しかも母親という点に興味を示したのは確か。権力に屈服しない母親の強さに共感を覚えたのではないだろうか。

 それにしてもイーストウッド映画は先が読めない。母親の息子探しから後半は男の子を狙った猟奇殺人事件へと思わぬ方向に進む。ラジオからベーブ・ルースの活躍が流れたりする。一見、平穏な日常にこそ狂気、暴力が潜んでいて不意に襲ってくるのが現実の社会であることを突きつける。「ミスティック・リバー」に続いてミステリー映画の傑作をつくりあげた。

■ディファイアンス

 第二次世界大戦下、多くのユダヤ人を救った歴史上の人物としてドイツ人のシンドラーが有名だが、エドワード・ズウィック監督が「ディファイアンス」で光を当てるのはユダヤ人のビエルスキ兄弟である。彼らこそ多くの同胞を救ったユダヤ人兄弟だった。実話で、これまであまり知られなかったビエルスキ兄弟を描いた点に意義がある。

 両親を殺された四人の兄弟は森の中に逃げ込み、レジスタンスとなってドイツ軍に抵抗、逃れてきたユダヤ人たちの面倒をみるうちに、その数は千人以上に膨れて、ついに一つの共同体ができあがる。リーダー的存在が長兄のトゥヴィアで、新007として人気上昇中のダニエル・クレイグが演じている。

 物語を美化していない点がこの映画の良さでもある。裏切りに対する粛正、捕まえてきたドイツ兵に対する制裁、仲間割れ?といったエピソードが逆に戦争の悲惨さ、残忍になれる人間性を暴く。弟ズシュ(リーヴ・シュレイバー)とトゥヴィアの確執も浮き彫りにされる。

 リーダー故に、時には冷酷非情にならざるを得なかったトゥヴィアの信念が胸を打つ。

 「真の生を勝ち取るために、たとえ死ぬことがあっても、おれたちは少なくとも人間らしく死にたい」

 タイトルの意味は「抵抗」。

■ベンジャミン・バトン 数奇な人生

 ブラッド・ピット主演作、デビッド・フィンチャー監督作品(ピットとは「セブン」「ファイト・クラブ」でコンビ)ということで、「ベンジャミン・バトン」には公開前から期待していたが、さらに原作があることが分かって、しかも著者がスコット・フィッツジェラルドと知って、がぜん興味がわいた。

 「グレート・ギャツビー」が有名だが、意外と未訳が多く、「ベンジャミン…」も映画化のおかげで翻訳された。文庫で六十ページの短編である。ところが、映画は三時間弱の”大長編”に変身。見応え十分な大河ドラマの趣になっていた。

 生まれた時は老人だったバトンが年を取るにつれて若くなっていくという着想が奇抜の話だが、映画は小説を換骨奪胎して新たなベンジャミン・バトンの物語にしている。比べると印象がかなり違う。小説には人生のはかなさが漂っていたが、映画には人生への賛歌があふれている。ラブストーリーの要素が強いのも小説との違いで、ケイト・ブランシェットの存在が大きい。原作か映画かではなく、二人のベンジャミン・バトンの人生を味わえて面白い。

 驚きはフィンチャーの変わりようだ。無神論的、無機質的な作風から一大転換。バトンの人生を見守る温かさは監督としての成熟とみていいのだろうか。

■チェ 39歳別れの手紙

 ボリビアの山中を過酷な条件の下、ぜんそくに苦しみながらも歩き続けるチェ・ゲバラ(ベニチオ・デル・トロ)に、いつしか問い掛けていた。

 「アルゼンチン人であるあなたを、そこまで突き動かしているのは何ですか」と。

 キューバ革命を成功に導き、名誉と地位を与えられながら、それらを辞退し、一時の家族との再会を果たした後、ゲバラはボリビアに飛ぶ。

 先ほどの問いに、あなたは多分、自明の理?と言わんばかりに微笑むに違いない。世界中から圧政をなくすために、搾取されている農民や国民を救うために、不正な権力と闘わなければならない。これが自分に課せられた使命だ?と。

 キューバ革命の次にゲバラが夢見たのが、革命による南米の解放だった。スティーブン・ソダーバーグ監督は、前作よりさらにドキュメンタリータッチを強めて、志半ばに三十九歳で、異国の地に倒れたゲバラの最後の戦いを描く。

 キューバの歴史を、貧困にあえぐ国々の民衆の姿を、米国の視点からではなく、ゲバラという人物の視点から見た点に、この二部作の価値がある。しかも米国人で、ハリウッドでも影響力のあるソダーバーグが撮ったところにまた意義がある。映画史的にも”一つの事件”だ。

■マンマ・ミーア!

 一九七〇年代、世界中を魅了したスウェーデンのポップ・グループABBA(アバ)の名曲が、ミュージカルの中でよみがえった。アバの歌を使ってストーリーをつづった舞台版「マンマ・ミーア!」が作られたのは九九年で、ロンドン初演は大ヒット、ロングランとなった。

 映画化は舞台版を手掛けたフィリダ・ロイド(監督)、ジュディ・クレーマー(製作)、キャサリン・ジョンソン(脚本)の三人の女性が再結集し実現させた。風光明媚(めいび)なギリシャ・ロケが映画ならではで物語の魅力アップに貢献。

 内容は”花嫁の父”候補が三人いて、誰が本当のパパであるかをめぐるコメディー。女手一つで娘を育ててきた母親役がメリル・ストリープ。娘が策略して、母親が昔付き合っていた男性三人を自分の結婚式に招待する。ギリシャの小島を舞台にドタバタが繰り広げられる。

 それにしても大女優のストリープが、五代目007のピアース・ブロスナンが「ダンシング・クイーン」や「アワ・ラスト・サマー」「SOS」といったアバの名曲を歌って踊る。子の成長を思い、しんみり歌う場面もあるが、全体的にはノリの良さと明るさで劇場を包み込む。カーテンコール?もある。歌唱力などを考えると、配役がベストかどうか疑問な点もあるが。


■誰も守ってくれない

 君塚良一は「踊る大捜査線」シリーズをヒットさせた脚本家で、監督作品としては「誰も守ってくれない」が三作目。前作の「容疑者 室井慎次」から四年ぶりとなる。「踊る…」は群像劇で警察組織内の人間関係を描いた点がユニークだった。その君塚の視点が警察から、今回は加害者家族と社会(世間)の過剰な反応に向けられる。

 マスコミの執拗(しつよう)な取材、ネット上での中傷、攻撃。映画は被害者の家族ではなく加害者の家族、とりわけ殺人者の妹(志田未来)である十五歳の少女に焦点を当てる。主人公は彼女を保護することになった刑事(佐藤浩市)。強いヒーローではなく三年前の事件への責任からトラウマに苦しみ、家族とも別居中という弱さを持った人間というところが共感を呼ぶ。三年前の事件の被害者家族(柳葉敏郎、石田ゆり子)も絡んで、それぞれが抱える苦悩、痛み、喪失感が描かれる。

 解決策は示されない。一人一人が自分の人生とあらためて向き合う形で終わる。でも悲観的にとらえていない。「希望」を提示して終わる。君塚監督の願いが込められている。リベラの歌う「あなたがいるから」がかぶさる。佐藤とのコンビで刑事役の松田龍平のヌーボーとした味わいがシリアスな人間ドラマにあって貴重な存在感を放つ。

■007 慰めの報酬

 「カジノ・ロワイヤル」に続いてまだ二作目だが、ダニエル・クレイグのジェームズ・ボンドがなかなかいい。

 スパイ映画という枠を超えてそこにあるのは非情なハードボイルドの世界だ。一切妥協をしない、笑わないクレイグ=ボンド。走って飛んでのアクションの連続で、スーツは汚れ、顔や肉体は傷だらけ。飼い主(英国諜報機関)の手を離れて一人で敵を追いつめる姿は猟犬そのものだ。あげくは僚友であるはずのCIAからも命を狙われる。

 ボンドの痛みに満ちた孤独な戦いが描かれる。前作で愛する女性を失ったボンドの怒りと悲しみが本作のテーマになって受け継がれているためだ。裏口から野良犬が一匹寝そべっているだけの、深夜の裏通りに出て歩くボンドの後ろ姿が印象的で、どんな激しいアクションシーンよりも目に焼き付いている。ボンドと同じように復讐(ふくしゅう)を誓い戦うヒロイン(オルガ・キュリレンコ)は、もはやボンドガールとは呼べない。

 誰が敵で味方なのか。”信頼関係”だけがすべて。二十一世紀のボンドはそんな世界で生きている。前作から一時間後のエピソードから始まる本作はシリーズの中でも異例。監督に「ネバーランド」のマーク・フォースターを起用したことで、人間ドラマとしても見応えがある。


■チェ 28歳の革命

 カストロと共にキューバ革命(一九五九年)を成功させ、米国の敵だった革命家チェ・ゲバラ(一九二八-六七年)を、米国人のスティーブン・ソダーバーグ監督が描いたところに興味を覚えた。二部作で、現在公開されているのは前編に当たる。なぜアルゼンチン人の、医師を目指していたゲバラが、キューバ革命に身を投じたのか。

 映画では直接描かれないが、その芽は大学時代に友人と南米を旅行したことにあった。人々の温かさに触れると同時に圧政に苦しむ民衆を目の当たりにした。原因を中南米の独裁政権を支援する米国にみる。その後のゲバラノの生き方を決めた。

 ぜんそくに悩まされながらキューバ革命に命をかけて戦うゲバラをカラーで、革命後に国連での演説のためにニューヨークを訪れたゲバラをモノクロで交互に描く。彼の人間性、帝国主義の米国からの解放という信念が浮かび上がっていく。民衆のほとんどが十分な教育を受けていなかったため、読み書きを重視したエピソードが印象深い。

 「真の革命家は偉大なる愛によって導かれる。人間への愛。正義への愛。真実への愛」

 ゲバラのセリフにソダーバーグが描きたかったものが見えてくる。三十一日公開の後編ではゲバラが今度は世界で果たそうとした革命の夢が描かれる。

■K−20 怪人二十面相・伝

 江戸川乱歩の作品でおなじみの怪人二十面相。だが、彼はどのように誕生したのか。そこに着目して大胆に想像力を膨らませて書いたのが北村想の小説である。その小説を一応、原作にして映画化されたのが佐藤嗣麻子監督「K−20 怪人二十面相・伝」。一応と断ったのは、これまた北村の原作に縛られることなく自由に怪人二十面相ワールドをつくりあげているため。

 設定がユニーク。第二次世界大戦が回避された一九四九年の架空都市”帝都”を舞台にしているからだ。さらに民主主義の社会ではなく、一部の特権階級が富と権力を握っている階級社会になっている点も面白い。

 そんな時代に現れたのが怪人二十面相である。しかも二人。本物と、彼のわなにハメられ二十面相に仕立てられたサーカス団の青年(金城武)である。もちろん名探偵・明智小五郎(仲村トオル)も登場する。

 だが真の主役はと言うと、この男たちではなかった。松たか子が演じる良家の子女・羽柴葉子こそ主役である。世間知らずのお嬢さんが、孤児たちの集団を目の当たりにして社会的使命感に目覚める。男たちの戦いを尻目に女性として人間として自立精神を養っていく。最後の謎解きも見どころだが、一番の冒険を楽しんだのは松たか子=羽柴葉子だろう。國村隼が好演。

■ブロードウェイ♪ブロードウェイ

 副題が「コーラスラインにかける夢」。あのブロードウェイ・ミュージカルの名作、日本では劇団四季の代表作にもなっている「コーラスライン」を題材にしたドキュメンタリー映画である。監督・製作はジェイムズ・D・スターンとアダム・デル・デオのコンビ。

 ブロードウェイでの初演は一九七五年。大ヒットし、九〇年までの超ロングランとなった。映画は二〇〇六年の再演版に、約三千人が受けたオーディションの模様を撮影したフィルムを中心に編集。この傑作ミュージカルの誕生秘話も、初演当時の関係者のコメントから聞くことができて、とても興味深い。

 ブロードウェイのステージに立つことを夢見て、オーディションに臨む若者たちの、ひたむきな姿をとらえながら、審査する側の思いも同時に描きだす。一人の若者の迫真の演技に、審査員たちが涙するシーンが実に感動的だ。

 驚いたのは日本人女性の姿もあったことだ。ニューヨークでダンスや歌を学んだという高良結香さんで、小さな体ながらパワーあふれる表現力で、アジア人でただ一人、役を射止める。

 自分を信じ夢に向かって突き進むことの素晴らしさを教えられる。一人一人の人生(観)が見えてくるあたりは舞台の「コーラスライン」そのものだ。

■WALL・E ウォーリー

 予告編に「大脱走」のテーマが流れた時から「ウォーリー」に興味を持った。ごみの惑星と化した地球から人類が宇宙に脱出してから七百年。その間、地球上でただ一人ごみの回収にあたる小型ロボット・ウォーリーが主人公だ。登場の仕方が大都市を俯瞰(ふかん)してカメラが地上にいるウォーリーにぐっと寄る手法で、これはまさしく「ウエスト・サイド物語」だ。

 ウォーリーが楽しみに見るビデオが「ハロー・ドーリー」。西部劇のような早撃ちもある。究極は「二〇〇一年宇宙の旅」のパロディー。リヒャルト・シュトラウスの「ツァラトゥストラはかく語りき」が流れ出した時は鳥肌が立った。

 監督のアンドリュー・スタントンが大の映画好きということで納得。ウォーリーが未来型ロボットに恋するという話はまさにロボット版”ボーイ・ミーツ・ガール”ではないか。

 ごみの山の地球、メタボリックシンドローム(内臓脂肪症候群)に陥り手足が退化して機械に依存する人類と、未来社会を辛辣(しんらつ)に描きながらも、これをコメディーにしてみせる力量がすごい。手足を動かすことの素晴らしさを発見していく過程は、人間になりたかった宮崎駿アニメ「崖の上のポニョ」と通じるものがある−と一人、合点して悦に入った。

■DISCO ディスコ

 ジョン・トラボルタをスターにした「サタデー・ナイト・フィーバー」(一九七八年)が与えた影響の大きさをあらためて思い知らされた。映画は、その名もずばり「DISCO ディスコ」(仙台で公開中)。しかもフランス映画。誇り高きフランス人が三十年も前に作られたハリウッド映画にオマージュをささげていることに感動した。

 一九七〇、八〇年代に、トラボルタにあこがれ、ディスコで青春を楽しんだおじさんたち三人がまたトリオを組んで、町に復活したディスコ大会に挑むというコメディー。

 仕事でも家庭でも失敗ばかりの自称ディディエ・トラボルタが主人公で、フランスで人気を誇るコメディアンのフランク・デュボスクがディスコ一筋の愛すべき男を熱演。家庭や仕事などで悩みやトラブルを抱えながらも、おじさんたちがディスコで再び青春を取り戻していく様子が共感を持って描かれる。舞台となるノルマンディーの港町ル・アーヴルの風情もいい。

 ノーマークの映画だったが、エマニュエル・ベアールとジェラール・ドパルデューが出ていることが分かって、あわてて映画館に足を運んだ。監督はファビアン・オンテニエンテ。デュボスクとのコンビは二度目で、この異色の”青春映画”はフランスで大ヒットを記録した。

■ハッピーフライト

 キャビンアテンダント役の綾瀬はるかを主人公にした映画か?と思い込んでいたら、全然違った。飛行機や空港で働く人たちを描いた、コメディータッチの群像劇だった。

 大きく分けると、パイロット(田辺誠一、時任三郎)、キャビンアテンダント(綾瀬、寺島しのぶ、吹石一恵)、オペレーション・コントロール・センター(岸部一徳、肘井美佳)、グランドスタッフ(田畑智子、田山涼成)、整備士(田中哲司、森岡龍)、管制官(宮田早苗、いとうあいこ)となる。個性的な俳優を配し、それぞれの持ち場でのエピソードを同時進行で描く。群像劇の魅力がある。

 さらに、これらをつなげる一本の太い話があり、そこに向かって物語が収束していく。コミカルな演出による群像劇ならではの人間ドラマが見どころ。

 矢口史靖監督と言うと、「ウォーターボーイズ」「スウィングガールズ」が思い浮かぶが、前二作が少年少女たちが主人公だったのに対して、「ハッピーフライト」はプロの集団の話。普段の仕事ぶりはもちろん、いざというときの彼らのプロ意識を、さりげなく格好良く描いている。乗客を相手にしなければならないキャビンアテンダントが一番大変かもしれない。矢口映画常連? の竹中直人も顔を出しているのでお見逃しなく。

■ハンサム★スーツ

 女性にモテないのはブサイクなせいと思っている男が、あるメーカーが開発したスーツを着るとハンサムに変身する。ブサイクなまま定食屋の主人として平凡な人生を送るか、ハンサム・スーツで人気モデルになって社会的成功を収めるか。そんな悩める三十代、独身男を主人公にしたコメディーである。

 一人二役ではなく、二人で一役というところがユニーク。塚地武雅と谷原章介が同じ人間、つまり変身前と変身後を演じ分ける。このギャップが面白い。塚地の世界、谷原の世界を水と油のように描き分ける。片や定食屋に集う人々が織りなすコミカルな世界が展開、片やモデルたちが集う華麗なファッションの世界。実際に東京で約二万五千人を集めて行われたファッションフェスタを使ってのクライマックスシーンは圧巻である。

 定食屋にアルバイトに来る二人の女性(北川景子と森三中の大島美幸で、これまた対照的)が物語の鍵を握る。「もしかして…」というこちらの推理を、監督の英勉と脚本の鈴木おさむは先回りして、もうひとひねり効かせた結末にしている。

 SF的な題材にもなるところを、ひたすら二人一役のおかしさを追求。洗練された笑いよりもドタバタにこだわった作りがいい。本当の自分探し、幸せ探しの物語でもある。

■Xファイル 真実を求めて

 UFOや異星人、オカルトなどが絡むミステリーは好きな方で、クリス・カーター監督によって「Xファイル」が映画で復活したのはうれしい。

 もともとはテレビで人気を博したシリーズだ。一九九三年から二〇〇二年にかけて計九シーズンのロングランを記録した。超自然現象などに挑むモルダー(デイビッド・ドゥカブニー)とスカリー(ジリアン・アンダーソン)の、男女のFBI捜査官コンビが活躍する。

 映画化は九八年に続いて二度目。テレビシリーズが終了した時点から六年が過ぎたが、二人の間にも六年の時が流れていたという設定になっている。二人の関係に進展があるほか、両方とも既にFBIを去っているところから物語が動きだす。

 特殊なビジョンが見えるという神父が事件の鍵を握る人物として登場、二人を再び現場に呼び戻す。神父の贖罪(しょくざい)と苦悩、医学博士としてキリスト教の病院で働いているスカリーの神の存在をめぐる葛藤(かっとう)など、かなりキリスト教の世界観を追究している点が興味深い。事件の真相もその意味で、医学の神への挑戦ともとれる。ただ悪役をロシアの組織にした作りが東西冷戦時代に逆戻りしたようで、そこに、きな臭さを感じるのは過剰な反応だろうか。

■櫻の園 さくらのその

 自ら監督した作品を、あらためて今に作り直す。最近では市川崑監督が「犬神家の一族」をリメークして話題になった。オリジナルが名作という評価を受けた場合、もう一度、手掛けることは勇気がいるに違いない。

 無謀にもまたそれに挑戦した監督がいる。中原俊だ。一九九〇年に映画化し、彼の代表作ともなった「櫻の園」である。フレッシュな女優陣たちとともに清々とした、鮮烈な−そんなイメージが強烈な印象になって残っている。

 物語の基本はほとんど同じ。名門の女子高を舞台に、チェーホフの戯曲「桜の園」に魅せられた女子高生たちが発表に向けて取り組む姿を描いている。

 大きな違いはオリジナルが舞台劇のような密室性が高かったのに対し、リメーク版は学校外にも飛び出すなど開放感にあふれている。青春群像劇的な趣から、一人の少女を主人公にした心の成長物語にもなっているところも違う点だ。

 何よりチェーホフの言葉が多く引用されている。戯曲のセリフが彼女たちの口から発せられるわけだが、そのセリフがそのまま彼女たちの心情、思いを表しているという構造にもなっている。こんな解釈もあるのか。新しいチェーホフ像を見せられたようなすがすがしさで、リメーク版もなかなか良い。

■イーグル・アイ

 主人公が身に覚えのない事件に巻き込まれるサスペンスタッチの作りはヒチコック風。それより一九六〇年代に公開された一本の快作を思い出した。ジョゼフ・サージェント監督の「地球爆破作戦」だ。日本語タイトルは勇ましいが、現代社会を支える便利な道具が人類を脅かす存在になるというSF映画で、近未来社会の恐怖をユニークな視点で描いていて面白かった。

 スティーブン・スピルバーグが製作総指揮し、D・J・カルーソが監督した「イーグル・アイ」はハラハラドキドキさせながら、現実にありうる監視型社会の不気味さを描いたノンストップのアクション映画である。

 何者かによって選ばれた男女二人が、その姿が見えない者に従うしかない立場に追いやられて、訳が分からないまま行動するはめになる。なぜかいつも二人の行動が相手に見えてしまうところが恐ろしい。クライマックスが「ゲット・スマート」と似ている。というより日本映画の「交渉人 真下正義」(二〇〇五年)が元ネタか。アイデアがほぼ同じなのである。

 男の方はシャイア・ラブーフで、今夏の「インディ・ジョーンズ」でハリソン・フォードの息子役を演じていた青年。彼らを追う刑事がビリー・ボブ・ソーントン。脇に実績のある俳優が出ると映画もぐっと締まる。

■PSアイラヴユー

 亡くなった夫から妻に十通の手紙が届く物語と聞いて、「ゴースト」のようなファンタジーを想像したが、見事に外れた。ちゃんと裏があった。それは最後に分かる仕組みで、見てのお楽しみといったところ。

 妻ホリー役がヒラリー・スワンク。夫ジェリー役がジェラルド・バトラー。片やアカデミー主演女優を二回受賞、片や「オペラ座の怪人」のファントムと重量級のキャスティング。

 傷心の妻が亡き夫から届く手紙に導かれてたどる人生が描かれる。喪失感と向き合いながら日々の生活を送らなければならないのが人間。悲しみがあるからこそ喜びもある。手紙はホリーにそのことを教え、新しい人生に踏み出せようとする。手紙を通じてホリーが思い出すのはユーモアのある人生だ。そこにいつもジェリーの姿があった。

 ジェリーの故郷アイルランドの風景が美しい。ホリーの二人の親友(リサ・クドロー、ジーナ・ガーション)、ホリーを見守るダニエル(ハリー・コニック・ジュニア)ら周りのキャラクターも個性的。存在感を示すのがホリーの母パトリシア役のキャシー・ベイツ。娘を思う母の愛情を細やかに表現、さすがアカデミー主演女優である。監督はリチャード・ラグラブェネーズ。ジェリーには亡くなった親友が反映されているという。

■ゲット・スマート

 全米で人気のあるコメディー俳優スティーブ・カレルを主人公にしたスパイ・コメディー。

 が、「ゲット・スマート」と聞いて懐かしく感じる往年のファンもいるのでは。それもそのはず一九六〇年代半ばに「それ行けスマート」というタイトルでテレビで放映された。映画化はピーター・シーガル監督がテレビシリーズのファンだったらしいことから実現したようだ。

 スマートが所属する米国極秘スパイ機関コントロールと国際犯罪シンジケート・カオスの対決がメーンとなる。分析官にすぎなかったスマートが急きょ、スパイに抜てきされるというハチャメチャな内容なのだが、そこはハリウッド、アクションシーンは手を抜いていない。

 だがスマートとは名ばかり。どこかドジで、007のようなわけにはいかない。それでも決めるところは決める。時折見せる間の抜け方がおかしく、「ピンクパンサー」のクルーゾー警部の親類かと思ってしまう。

 コンビを組むのがアン・ハサウェイ。「プリティ・プリンセス」の清純なイメージから脱皮しタフな美女ぶりを発揮。ほかにアラン・アーキン、テレンス・スタンプ、ジェームス・カーンと、くせ者スターが脇を固めている。驚くことにビル・マーレーが特別出演。ぜいたくなリメーク版と言える。

■12人の怒れる男

 評判がいいので、一足先に夏に東京で見て来た。土曜夜の最終回だったが、年配の人を中心に込んでいた。

 タイトルから誰もが、約五十年前に公開されたシドニー・ルメット監督の名作を連想するだろう。殺人容疑の若者の運命が十二人の陪審員の評決で決まる?という大筋は変わらないけれど、単なるリメークではない。内容は全く別物だ。

 まずロシア映画であること。オリジナルが米国の社会正義をうたいあげた法廷ドラマだったのに対し、ロシア版が最後に見いだすのは人間の希望だ。

 審理を進めていく中で、殺人容疑の若者と十二人の陪審員から明らかになっていくのは、現代ロシアが抱える問題や矛盾などだ。チェチェン戦争の真実、多様な民族構成から生じる偏見と差別、あげくには自由民主主義になったための混乱と失意などが緊迫感あふれる人間ドラマの中に浮き彫りになっていく。

 陪審員にならなければ一カ所に集まることもなかった、民族も家族構成も職業も学歴もみな違う十二人は、今のロシア市民の代表と言える。彼らに現代ロシア社会の縮図を見る思いだ。何より娯楽作品として見応えのあるものになっている。二時間四十分が短く感じる。監督のニキータ・ミハルコフは陪審員の一人としても出演している。

■アイアンマン

 アメリカン・コミックス(アメ・コミ)のヒーローが活躍する映画から目が離せない。夏に公開された「インクレディブル・ハルク」では、最後にハルクが安住の地とする場所が「X?メン」のウルヴァリンの故郷だった。さらにラストに登場する人物こそ、今公開中の「アイアンマン」の主人公トニー・スターク(ロバート・ダウニー・Jr)である。遊び心というよりも、それぞれのヒーローがつながりをもっていくところに、何かとてつもないことが起こりそうな予感を覚えるのだが。

 全米でのアメ・コミ人気は抜群で、「アイアンマン」はオープニング興行収入が歴代二位を記録(一位はやはりアメ・コミの「スパイダーマン」)。武器開発の実業家で、天才的な発明家スタークが、改心して正義のヒーローになるまでを、アクションとユーモアを交えて描く。

 ダウニーをはじめ、共演陣もグウィネス・パルトロー、テレンス・ハワード、ジェフ・ブリッジスと、アメ・コミの映画にアカデミー賞級の演技派をそろえたところがすごい。人間ドラマとしても見応えのあるものにしようとしたジョン・ファヴロー監督の意気込みが伝わる。

 そして映画が終わっても席を立つなかれ−と、最後の最後に大物スターが登場。彼の一言が先の予感を確信に変える。


■パコと魔法の絵本


 評判がいい。「泣いてしまった」という女性もいる。が、悲しい映画ではない。泣かせる映画なのだ。基本はコメディー。見せ場は、いい大人たちによる学芸会。ドリフターズのコントがオチに使われている。

 怪しげな病院が舞台。患者をはじめ医者も看護師も登場人物たち全員がどこかおかしい。現代社会の縮図か、限られた空間で繰り広げられる狂気と欲望の輪舞。でも、みな孤独で、だからこそ優しさを求めている。

 大人たちの希望の灯のような存在が少女パコ。だが記憶は一日で消える。次の日になると前日の出来事を忘れている。そのパコのために記憶に残るようなことをしようと、いつもはバラバラな大人たちが結束。パコが好きな絵本の劇化に挑む。音頭をとるのが人間嫌いの意固地な老人というところがミソ。

 病院を舞台に一人の観客のために大人たちが熱演。パコの目に映った劇の世界が色鮮やかなCGで再現されていく。中島哲也監督独特の世界が展開する。パコのためにが、実は大人たちの方が心を癒やされていく。映画は大人のための絵本だった。

 元は舞台。中島監督が気に入って映画化。役所広司、阿部サダヲ、上川隆也、妻夫木聡、土屋アンナ、小池栄子、劇団ひとり、加瀬亮、國村隼らが、どんな役で出ているかも楽しみ。

■おくりびと

 遺体を棺に納める納棺師を描いた滝田洋二郎監督の「おくりびと」には、さまざまな死が描かれる。自殺した若者、一人暮らし老人の孤独な死、人生を全うした祖父、交通事故の犠牲になった若い女性、働いている時に突然亡くなった女性−と、それぞれの死に方に現代社会、今の家族が反映されている。

 納棺師の仕事は、その亡くなった人たちを美しく送り出すこと。死を見つめることで見えてくるのは生の重みである。滝田監督が意識していたかどうかは分からないが、命が軽く扱われがちな現代社会にあって、映画監督として、一人の作家として今、何を描かなければならないのか−といった使命感みたいなものがあったのではないだろうか。そんな気がしてならない。

 一流のチェロ奏者になる夢が破れて、生まれ故郷の山形に妻(広末涼子)と戻って、勘違いからNKエージェント社長(山崎努)の下で、納棺師として働くはめになった小林大吾(本木雅弘)が主人公だ。戸惑いながらも納棺師の仕事に励む彼と一緒に、観客は死の厳粛さ、生の尊厳と向き合うことになる。

 生と死の営みが時にはユーモラスに、こっけいにさえ描かれる。できれば避けたい死というテーマを真正面から取り上げ、死を通して生きることの尊さを描いた異色作である。

■幸せの1ページ

 戦うヒロインが続いていたジョディ・フォスターが気分転換を兼ねて次作に選んだのは、児童書を中心に人気のある作家ウェンディー・オルーの「秘密の島のニム」を映画化したコメディー色の「幸せの1ページ」。

 少女ニム(アビゲイル・ブレスリン)が主人公。しかも舞台は南海の孤島。海洋生物学者の父親(ジェラルド・バトラー、代表作「オペラ座の怪人」)と暮らしていて、アシカやペリカン、ウミガメ、トカゲが友達という自然児ニムの活躍が描かれる。この生き物たちが個性的、ニムや父親を助けたりする。作りはまさにディズニー的。フォスターがどう絡むかというと、ニムが愛読している冒険小説の作家役。サンフランシスコに住んでいるという設定。

 窮地に立たされたニムが、メールで助けを求めるところから物語は動きだす。おかしいのはニムがフォスターを冒険小説のヒーロー、アレックスと思い込んでいるところ。現実は逆。潔癖性で、対人・外出恐怖症というのがフォスターの役。そんな彼女を励ますのが想像上のアレックス。バトラーがニムの父親との二役を好演。フォスターも「マーヴェリック」(九四年)以来のコメディーで、役を楽しんでいるふうだ。人生への冒険心をうたった、おおらかな作りがいい。監督はレヴィン夫妻。

■ハンコック

 「ダークナイト」「インクレディブル・ハルク」「アイアンマン」と今夏、コミックヒーローを主人公にした映画がブームだ。そこに新たに現れたのがウィル・スミス主演の「ハンコック」。前者のヒーローたちと決定的に違うのはコミック出身でないこと。完全なオリジナルストーリーの基にハリウッドがつくりだしたニューヒーローだ。

 キャラクターがユニーク。酒を片時も離さない酔っ払いとして登場。人助けのつもりが、パワーも感情も自分でうまくコントロールできないため街を破壊してしまい、市民から疎まれ、嫌われてさえいる。

 物語のウエートも、強力な敵との戦いではなく、皆から愛されるヒーローに生まれ変わることができるのかどうかにある。そこに絡むのがPRマンのレイ(ジェイソン・ベイトマン)。二人でイメージチェンジを模索するエピソードがおかしい。

 純粋なコメディーではない。レイの妻マリー役に、アカデミー主演女優のシャーリーズ・セロンを起用していることからも分かる。彼女の存在がハンコックの運命に大きくかかわってくる。意外な展開が待っている。

 ピーター・バーグ監督に真意を聞いてみたい。強大な力を正義の名の下に行使しながら嫌われているどこかの国と、ハンコックが重なるのは偶然か-と。

■3人の監督

一九七〇年代に監督として大ヒット作品を生み、その後の米国映画界をリードしてきた三人の、それぞれかかわった作品が偶然にもこの夏そろった。スティーブン・スピルバーグ、ジョージ・ルーカス、フランシス・フォード・コッポラである。

 「インディ・ジョーンズ」四作目はスピルバーグ(監督)ルーカス(製作)コンビの作品。ヒット・メーカーのスピルバーグの代表的なシリーズ。十九年ぶりにヒーローを復活させ娯楽づくりの第一人者を証明した。

 監督よりプロデューサーとして腕を振るってきたのがルーカス。が、彼の製作した映画がもう一本公開されるとは思わなかった。ライフワークとも言うべき「スター・ウォーズ」シリーズで描かれなかったエピソードが全編CGで作られた。「クローン・ウォーズ」(デイブ・フィローニ監督)で、ルーカスの情熱が伝わってくる出来だ。

 渋谷で公開中なのが「コッポラの胡蝶の夢」。大作「ゴッドファーザー」「地獄の黙示録」で知られるが、意外にもコッポラが理想とするのは”私映画”のような小品。そのコッポラの夢が実現したのがこの映画。雷に打たれた男の運命が現実と幻想を織り交ぜて描かれる。

 三人とも六十代。この三本の映画から、それぞれの目指してきた道が分かって面白い。

■ぼくの大切なともだち

 「仕立て屋の恋」(一九八九年)を見に行ったのが、パトリス・ルコント監督の作品との出会いだった。人間のおかしさ、それを見つめるルコントの温かいまなざしが好きになった。

 仙台市内で公開中の「ぼくの大切なともだち」は、利己主義の美術商フランソワ(ダニエル・オートゥイユ)を主人公にした映画である。仕事仲間に「君は友達がいない」と指摘されて、ギリシャの壺(つぼ)を賭けて十日以内に親友を紹介する約束をする。ここからフランソワの涙ぐましい親友探しが始まる。

 友達を持つこととはどういうことか。深刻になりそうなテーマをルコントはエスプリとウイットを効かせて、コメディータッチに仕上げる。友達をつくるためにハウ・ツー本を買ったりと、フランソワの奮闘ぶりがおかしい。特に誰とでも仲良くなれるタクシー運転手ブリュノ(ダニー・ブーン)が、友達づくりを指南するシーンが最高だ。賭けの相手となる共同経営者カトリーヌ(ジュリー・ガイエ)とのやり取りも興味深い。

 友達のいない人生を笑わせながら考えさせる。高価な骨董(こっとう)品を唯一の財産のように生きてきたフランソワが、遠回りしながら友達という本当の心の財産を手に入れるまでの物語だ。

 「列車に乗った男」(二〇〇二年)に続く、ルコント流の粋な友情映画である。身近な存在の大切さを教えてくれる映画でもある。何より愚かなフランソワに注ぐルコントの優しい目がいい。
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