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| 最近話題の映画などを記者の目から紹介しているコラムです。 |
■アデル ファラオと復活の秘薬 監督が「レオン」のリュック・ベッソン。インディ・ジョーンズの女性版冒険映画を期待すると見事に外される。 確かにヒロイン、アデルのエジプトでの活躍シーンはあるが、それはエピソードの一つであって主な舞台は20世紀初めのパリ。ドタバタ調の奇想天外な世界が展開する。 ふ化した古代の翼竜がパリの街を飛び回ったりする。この翼竜事件がアデルの話につながっていくが、登場人物たちがみなどこかズレている。アデルさえ少々ずっこけたところがある。まともなのはアデルが連れ帰った古代エジプトのミイラだけ?。よみがえった上に流ちょうな仏語を話し、高い知性を示す。 どこまでも人を食ったような話に、日本の観客はだまされたような気がするだろうか。しかも物語のオチは姉妹愛。個人的には、本筋とは関係のないところから始まる導入部から気に入ったが。 もともとは仏で人気のコミックの映画化。ベッソンはアデルのキャラクターが好きで、自ら監督を買って出た。本人はコメディーは撮らないと主張しているらしいが、これは立派なアクション・コメディーだ。 仏映画にはルイ・ド・フュネスらによる伝統のコメディー路線がある。延長上に「アデル」があると言っていい。アデル役のルイーズ・ブルゴワンには、女性ジャン・ポール・ベルモンドを目指してほしいくらいだ。 ■ザ・ウォーカー セピア調の映像に、絵にして切り取ってみたくなるシーンがあった。米国の画家アンドリュー・ワイエスが描いたような風景がそこにあった。 映画は文明崩壊後の世界の話だが、大地を黙々と歩くデンゼル・ワシントンの孤独な姿に、荒れ地に建つ一軒家の寂りょう感に、ワイエスの名画を見る思いだった。 映画そのものはワイエスのタッチとは無縁の、ハードなアクションが随所に見られる。 半面、語りは少なく物静かだ。なぜ世界が破滅したのか、なぜワシントンは西に向かって旅し続けるのか、なぜゲイリー・オールドマンはある1冊の本を探すことに執着するのか。こんな疑問が次々わいてくるが、映画は最小限の説明しかしない。しかも、世界に1冊だけ残ったある本をめぐって展開する物語はとても寓意的だ。 全編に漂う終末観に一筋の光明、希望があるとすれば、それはワシントンの信じる力だろう。何かに導かれるように進む彼の姿に、一度は向けた銃を降ろす敵さえいる。 映画は西欧のキリスト教文明と深く結び付いている。原題が「イーライの本」と全然、日本語タイトルと違っていて、一体、誰のこと?と、初め戸惑った。旧約聖書に出てくるユダヤ人予言者の名前を連想させるらしいが…。ワシントンの身に起きた奇跡の物語だったとも解釈できる。監督は双子のヒューズ兄弟。 ■アイアンマン2 ミッキー・ロークとスカーレット・ヨハンソンの出演で、続編はスケール感もアップ。 ロークは、アイアンマンことトニー・スターク(ロバート・ダウニー・Jr)の敵として登場。ロシア人技術者役だが、どう見ても技術者には見えないのが愛きょう。アイアンマンを”いじめる”役を怪演している。 ヨハンソンはハリウッドを代表する女優。敵か味方か分からない謎の美女役。レザースーツに身を包んでのファイトは一番の見せ場かも。アカデミー主演女優グウィネス・パルトロウとの火花散る演技合戦も見もの。 気になる人物がサミュエル・L・ジャクソン演じるニック。何者か。 鍵はアイアンマンがマーヴル・コミック社が生んだスーパーヒーローの一人であること。マーヴルはXメンやスパイダーマン、ハルクといったスーパーヒーローを次々生み、映画化してきた。そんな彼らをチームにする計画があり、まとめ役がニック。つまりスーパーヒーロー映画同士がリンクし、いつしか夢の共演が実現するかもしれないのだ。それを暗示するのがエピローグ。最後まで席を立たない方がいい。 軍事産業をめぐる米政府やライバル企業との対立、アイアンマン自身の生命的危機など見どころの多いストーリーを、手際よく演出したのがジョン・ファヴロー監督。俳優でもある。スタークの運転手役の人だ。 ■告 白 映画を見る時は最小限の情報にとどめておくようにしている。「告白」も、湊かなえの同名小説の映画化であることは知っていたが、その原作を読まずに見た。 だからか、いきなり物語の核心に迫る作り方に驚いた。松たか子演じる中学校教師・森口が、自分が担任するクラスで幼い娘の死の真相について語り始める。 こちらは森口の、この衝撃的な告白のみで物語が進むものと思い込んでいたから、その後の展開にも意表をつかれた。 森口に続いて、クラスの生徒やその親が順に告白する形でドラマが進行していくからだ。視点が変わることによって真相が徐々に明らかになっていく。少年法に絡めた命は重いか、軽いかという問いが突き刺さる。 映画は、森口の告白に始まり、そこから引き起こされる負の連鎖、加速する悲劇が描かれる。ダークで、毒気に満ちている。救いのない人間の心の闇が広がっていく。それでいながら突き抜けたような、そう快感がある不思議な映画でもある。 「下妻物語」「嫌われ松子の一生」などの中島哲也監督がつくりあげたのは、数人の告白から成り立ったユニークなエンターテインメントだ。 それにしても最後の森口が放ったセリフが気になった。原作にないという。あの一言が「告白」の世界観をガラリと変えてしまうからだ。中島監督の遊び心か。 ■オーケストラ! クライマックス。観客はコンサート会場に神が舞い降りた音を聴く。 偽のボリショイ管弦楽団が、パリで起こす奇跡の演奏会である。チャイコフスキーの名曲「バイオリン協奏曲」に乗って奏でられるのは、今と昔を結びつける人間ドラマのハーモニーだ。 物語はロシアからパリへと展開する。コメディーがあるかと思えば、シュールな出来事が起きたりもする。共産党復活をめぐる社会風刺もある。若い女性ソリスト、アンヌ・マリーに秘められたメロドラマでもある。 核となるのが、30年前の旧ソビエト政権下でのユダヤ人迫害である。その歴史に翻弄された人々の物語と言ってもいい。 その一人、今はボリショイ劇場の清掃人だが、実はボリショイ管弦楽団の伝説の名指揮者だったというアンドレイ。彼が偶然にも手にしたパリからのファクスが、彼とバラバラになっていた元団員、そしてアンヌ・マリーの運命を変えていく。 それぞれの思いが交錯しながら溶け合っていくのがラストのコンサートだ。アンドレイが追究していた”究極のハーモニー”へと昇華していく。 アンヌ・マリー役に、「イングロリアス・バスターズ」で注目されたメラニー・ロラン。ミュウ・ミュウの出演に感激。フランスとロシアの俳優たちとのアンサンブルがまた楽しい。監督はラデュ・ミヘイレアニュ。 仙台市内で上映中。 ■ソラニン こんな生き方でいいのか。現実と妥協して、先が見える未来を選択し日常生活に流されている自分がいる。本当の自分、本当にやりたいことは違う。今は、仮の姿だと自分自身に言い聞かせながらも、焦りは募るばかりだ。 三木孝浩監督の「ソラニン」に出てくる若者たちの気持ちが痛切に伝わってきた。大学時代の音楽サークル仲間3人は、フリーターになったり、家業の薬局を継いだりしながらも、バンドの練習を欠かさない。もう1人は自分の進むべき道が定まらないのか、留年生活を送っている。3人の夢はいつかバンド活動で世に出ることだが、厳しい現実が立ちはだかる。 宮崎あおい演じるヒロイン芽衣子は、その中の1人、種田(高良健吾)と恋人同士で、彼女のアパートに一緒に暮らしている。芽衣子自身も自分の生き方が見つからず会社を辞める。自由になった時間を満喫しながらも何か満たされない。 空をフワフワとさまよう赤い風船が、彼らの心情を表している。 種田に起きる悲劇が、芽衣子らにある行動を決意させる。悲しみを乗り越えた先に、彼らはそれぞれ進むべき道を見つけたのだろうか。言えるのは、人生と向き合おうとする彼らの姿が見えることだ。芽衣子の親友役の伊藤歩がまたいい。 人気漫画の映画化。若者の共感を呼んで、映画もヒット。 ■書道ガールズ!! わたしたちの甲子園 自分の力だけでは限界がある。でも、仲間が力を合わせれば可能性が生まれる。”紙の町”を舞台に描かれるのは、女子高校生たちの書道にかける情熱だ。その若い力が地域を動かす。書道パフォーマンス大会で有名になった愛媛県三島高校書道部をモデルにして作られた。笑えて、元気をもらえる青春映画である。 書道部部長の里子(成海璃子)ら5人の女子部員が中心。最初は部としてもバラバラで、それぞれが悩みや苦しみを抱えている。里子が好きだという、煙突が見える紙の町の商店街もシャッター通りで、元気がない。閉店に追い込まれ、部員の一人が転校していくエピソードも盛り込まれる。 そんな現状を打破しようと里子が思いついたのが書道パフォーマンス大会。書の甲子園だ。自分一人の力ではなく、仲間と力を合わせることで初めてできることに喜びを見いだしていく。彼女たちのパワーが街を、大人たちの心を変えていく。 大会で、彼女たちが書き上げるのが「再生」という文字。それぞれが自分の道を見つけて歩み出そうという願いが込められている。三島高校書道部が出演しているのが話題。何より成海ら女優陣によるパフォーマンス挑戦が見もの。本人たちが実際に書く。撮影前に特訓した成果を披露する。 顧問役の金子ノブアキが好演。監督はこれが2作目の猪股隆一。青春映画の快作となった。 ■花のあと 藤沢周平原作、東北の小藩・海坂藩が舞台。 「たそがれ清兵衛」のヒット後、この二つのキーワードだけで期待する観客は多いはず。時代劇ファンでなくても、「心の美」を重んじる人間たちの熱いドラマに魅了されるからだ。何かと制約がある武士社会の中で、精いっぱい自分らしく生きようとする人間たちの生き方が引き付ける。 今回の主人公はまして武家の娘。男より自由がなかったはず。父親に少年剣士のように育てられるが、決まった相手との結婚を前に剣の道をあきらめる。が、一度だけ竹刀で立ち合った城下一の腕前の青年が、江戸で自決に追い込まれる事件が起きる。淡い恋心を抱いた相手でもあった。何があったのか。探り出した真相を前に、ヒロインは再び剣を取る。 満開の桜に始まり、次の年の桜の季節で物語は閉じる。1年間の四季の移ろいの中に描かれるのは、運命を受け入れながらも、それぞれの生きる道に向き合おうした男女のりんとした姿だ。所作の美しさにも引かれた。 北川景子の女剣士ぶりが見どころ。バレエ界の新星、宮尾俊太郎の青年武士もりりしい。北川の結婚相手となる甲本雅裕がまたいい。市川亀治郎の悪役ぶりも見ものだ。 ドラマは静かにゆったり展開する。が、だれることはない。緊迫感に満ちている。監督はこれが長編2作目の中西健二。今後が楽しみだ。 ■第9地区 懐かしいB級SF映画の薫りさえ漂っていた。これが堂々と今年のアカデミー賞作品賞にノミネートされた。低予算、新人監督、無名俳優ながら批評家からも、観客からも支持され大ヒット。痛快でさえある。 映画も着想、創造力が大事であることを、あらためて思い知らされた。 南アフリカのヨハネスブルクに巨大な宇宙船が飛来する。これまでの映画なら地球侵略ものかと期待するが、船内にいたのは衰弱しきった多数のエイリアン。”難民”として第9地区の仮設住宅に隔離される。 ここまでが発端で、この後、映画は加速する。エイリアンを強制移住させることになり、指揮を執ることになった男の身に起きる(不条理な)出来事がノンストップで描かれる。 小気味いいアクションの中に浮き彫りになるのは差別、偏見、不寛容、力の論理−などである。この間まで黒人に極端な人種差別政策をとっていた南アフリカの都市での話というから、かなり皮肉と風刺に満ちている。監督のニール・ブロムカンプは、その南アフリカ出身である。 見逃してならないのは製作者の名前。「ロード・オブ・ザ・リング」シリーズを監督したピーター・ジャクソンである。自身、映画会社などから横やりを入れられた苦い経験があることから、ブロムカンプ監督に自由に好きなように作らせた。 ■シャッターアイランド 映画化なる前にデニス・ルヘインの原作を読んでしまった。 が、結末を知っていても、映画にぐいぐいと引き込まれた。さすがマーティン・スコセッシ監督である。たたみかけるような力強い演出で一気に見せる。上映2時間18分が短く感じられた。 真相が分かっていても楽しめる。そう、この映画は2度目、3度目の方が面白く見られるかも。登場人物たちの、ちょっとしたしぐさなどに別の意味が隠されていたりするからだ。1回目の時は気づかなかったヒントが見えたりもする。 舞台は孤島シャッターアイランドにある、精神を病んだ犯罪者だけを収容する病院。病室から1人の女性患者が消える。連邦保安官のテディが相棒のチャックとともに事件解明にやって来るが、調べれば調べるほど謎は深まっていく。 スコセッシ監督作品への出演が4度目となるレオナルド・ディカプリオがテディを熱演。受けて立つ病院側がベン・キングズレー、そしてマックス・フォン・シドーと重量級。彼らの丁々発止の演技合戦が見もの。 スコセッシ監督の演出は、意識的に観客を惑わせるように作っている。いくつもの心理が重なり合ってストーリーが進行する。テディのトラウマとの葛藤(かっとう)のドラマでもある。決して一筋縄ではいかないミステリー映画だが、それだけに見応え十分である。 ■シェルター 多重人格者を扱ったミステリー映画と思って見ていたら、オカルト色がだんだんと強くなって先が読めなくなった。タイトルの意味が明らかになった時、観客は超常世界に足を踏み込んでいる。 こけおどしの怖さはない。ディテールを積み重ねることで心理的な恐怖を増幅させる。「ホラー・ジャンルにおけるニュー・ウエーブ」と評価されるのも納得。 マイケル・クーニーの脚本がよくできている。前作はサイコ・スリラー映画の「”アイデンティティー”」。多重人格者に関心があるようだ。今回はさらにヒネリを効かせ、現代人の信仰心が物語の鍵を握る。 主役はジュリアン・ムーア演じる精神分析医のカーラ。デヴィッドという下半身不随の青年が患者として現れる。平凡な若者と思っていたら別な人格が現れて、アダムと名乗り、車いすから立ち上がる。調べていくうちにデヴィッドもアダムも実際に存在していたことが分かる。それでは目の前に患者としている男は一体、誰なのか。 というように、ミステリー仕立てだが、人知を超えた恐怖がカーラを襲う。患者を演じているのがジョナサン・リス・マイヤーズ。一人何役もの熱演ぶりだ。 監督はマンス・マーリンドとビョルン・ステイン。ともに出身がスウェーデン。道理で北欧的な冷たさが画面に満ちていた。利府で上映中。 ■(500)日のサマー 最近、注目している米国人女優に個性派ズーイー・デシャネルがいる。「ハプニング」で目を引いた。「イエスマン」でジム・キャリーを相手にコメディーセンスを発揮していた。 その彼女が堂々の主演を務めているのが「(500)日のサマー」。ちょっとタイトルが変わっているが、全米の若者たちが夢中になった恋愛コメディーだ。 誰にでも思い当たる恋の心情をコミカルに描いている。恋を信じる男の子トムと、恋を信じない女の子サマーの、500日間にわたる恋の物語である。 描き方がとてもユニーク。時制が行ったり来たりする。恋の時空を駆けめぐる。物語はトムの視点で進む。多分、この男の子のサマーに寄せる切ない片思いが、多くの観客の共感を呼んだのではないだろうか。 トムを振り回すサマーを演じているのがデシャネル。デビューアルバムを出すほどの歌手としても実力があり、映画でも美声を披露している。トム役のジョセフ・ゴードン=レヴィットとは息もぴったり。それもそのはず、プライベートでは気の合う友達同士という。 ほろ苦さも恋の味。ビタースイートなラブストーリーに青春時代が重なる。2人の恋物語を彩る数々のポピュラーソングがまた楽しい。監督はマーク・ウェブ。これが長編映画デビューとなる。 仙台市内で公開中。 ■NINE 「シカゴ」に続く、ロブ・マーシャル監督のミュージカル映画「NINE(ナイン)」にハマった。 オスカー女優陣の競演に魅せられた。ペネロペ・クルス、ジュディ・デンチ、マリオン・コティヤール、ニコール・キッドマン、そしてソフィア・ローレンが歌い踊る。弾けていたのがケイト・ハドソンの「シネマ・イタリアーノ」。圧巻は歌手ファーギーの「ビー・イタリアン」。圧倒的な歌唱力と、砂を使った迫力ある群舞に酔った。 ゴージャスな女優陣の中心にいるのが、アカデミー主演男優賞に2度輝いたダニエル・デイ=ルイス。新作の撮影を前に大スランプに陥った監督のグイド役。映画が撮れない心情を切々と歌う彼の前に、魅惑的な女性たちが現れては消える。 舞台版の映画化だが、さらに元をたどれば、フェデリコ・フェリーニ監督の傑作「81/2」(1963年)が原点だ。 「NINE」を見てからビデオで「81/2」を見直した。舞台も同じイタリアなら、登場人物やシチュエーションもほぼ同じ。さらに撮影場所も同じ。フェリーニが使ったローマにあるチネチッタの巨大スタジオに、現実と回想、幻想が渾然一体となった華麗なミュージカルの世界が現出する。 演出もマジック。まるでメビウスの帯のように映画の終わりが始まりにつながる。あと数回、映画館に足を運ぶつもり。 ■シャーロック・ホームズ これまでのイメージとは全く違うホームズとワトソンコンビがスクリーンを駆け回る。頭脳対決はもちろんだが、アクション・ヒーロー顔負けの活躍で難事件に挑む。 ガイ・リッチー監督版は、物語もコナン・ドイルの原作からの映画化ではなく、映画のためのオリジナル。死刑になったはずのブラックウッド卿が黒魔術によってよみがえり、世界征服を企む。オカルト色の強いミステリーとなっている。 ホームズが愛した唯一の女性アイリーン、ロンドン警視庁のレストレード警部ら、ホームズの世界でおなじみの人物たちも登場。宿敵モリアーティ教授は−というと、それは見てのお楽しみ。 とにかくホームズ役のロバート・ダウニー・Jrとワトソン役のジュード・ロウのコンビがハツラツとしていて新鮮。2人の掛け合いもユーモアがあって面白い。 名探偵ものと言えば謎解きが見せ場。新しい解釈によるホームズの世界を売りにしているこの映画も、演出のツボは心得ているようで、死からの復活、黒魔術による殺人といった謎を、ホームズが最後に見事に推理して解き明かしてくれる。 もう一つの主役は、再現されたビクトリア朝時代のロンドンの街並みだろう。建設途中のタワーブリッジが目の前に出現する。そこでの対決がまた見もの。ホームズたちが生きた時代の空気が伝わってくるようだった。 ■ジュリー&ジュリア 実話の映画化。メリル・ストリープが演じるのがジュリア、もう一人のジュリー役をエイミー・アダムスが好演。が、2人が一緒の場面はない。 というのも2人の時代が半世紀近くも隔たっているため。ジュリアは1950年代、ジュリーは2000年代に生きている。2人をつなげるのがフランス料理。 夫の転勤でパリに暮らすジュリアが出合ったのがフランス料理。持ち前の明るさとバイタリティーでフランス料理をマスター、料理本まで出す。彼女が書いたレシピを全部実行、料理を通して生きがいを見いだしていく現代女性がジュリーである。2人の女性の物語が同時進行で語られる。 時代背景が興味深い。ジュリアの夫が「アカ」の嫌疑をかけられる。赤狩りが吹き荒れていた時代で、その恐怖を描いていた。ジュリアを支える誠実な、この夫を演じているのがスタンリー・トゥッチ。「ラブリーボーン」の不気味な殺人犯と同一人物とは思えない。 ジュリーは公共機関に勤めているが、仕事の内容は9・11事件の事後処理。彼女自身、閉塞(へいそく)感に追い込まれていた。そんな彼女を救うのがジュリアのレシピだったのである。 時代も社会状況も全く違う2人の女性が、いかに生き方を見いだしていくか。製作・脚本も兼ねた女性監督ノーラ・エフロンの演出もあって、共感を呼ぶ出来となった。 ■しあわせの隠れ場所 実話であることに驚かされる。親から引き離され、家も寝る所もない黒人の男子高校生マイケル・オアーを、裕福な白人家庭が引き取る。心を閉ざしていた彼が温かさに触れ徐々に心を開いていく。体格に恵まれた彼はフットボールで才能を開花。全国の有名大学が獲得に乗り出す。そしてプロの世界が待っていた。 まるで嘘のような本当の話。何しろ舞台となっている南部のテネシー州メンフィスは、まだ白人と黒人の居住区が分かれている所。が、描かれるのは、偏見も差別も持たない善意にあふれた白人一家と、ベッドで寝たことがなかった黒人の高校生との触れ合いである。 米国の観客が求めているのが見えるような気がする。何の共通点がなくても人と人とがつながり合える、分かり合える心の絆(きずな)である。 しかも一昔前の話ではない。マイケルが大学を卒業しプロに入ったのは昨年のこと。奇跡のような心温まるドラマが、9・11同時多発テロ後、人間不信に陥っていた米国社会に、感動を与えたことは容易に想像がつく。 主演はサンドラ・ブロック。マイケルを家族の一員に迎えるリー・アンを好演。今年のアカデミー主演女優賞候補に選ばれた。作品賞にもノミネートされている。授賞式はきょう7日だが、果たして結果は。監督はジョン・リー・ハンコック。「オールド・ルーキー」という佳作がある。 ■恋するベーカリー メリル・ストリープの快進撃が止まらない。最近はコメディーづいており、あの演技派の大女優が、と思うほどスクリーンの中で弾けている。 都内の映画館で好評だった「ジュリー&ジュリア」では、フランス料理を米国の家庭に初めて紹介した実在の米国人女性ジュリア・チャイルドを楽しそうに演じていた。 石巻でも見られるのが「恋するベーカリー」。新しい恋人が、別れたはずの夫だったことから起こるドラマが、子どもたちらを巻き込んで展開する。監督が女性のナンシー・マイヤーズなのがポイント。女性の視点から描かれていて、ストリープと女友達らとの会話が本音合戦のようで、けっこうきわどい。そのためかR15指定となった。 妻、母、働く女性、恋する女性と、それぞれの表情を見せるストリープはやはりうまい。シリアスな作品での名演技もいいが、コミカルな演技力に新鮮な魅力を感じる。 元夫役のアレック・ボールドウィンも、年齢を重ねたせいか味が出てきた。かつてのアクションスターが意外なコメディーセンスを発揮。ストリープをめぐって恋のライバルとなるのがスティーブン・マーティン。ふだんのコメディアンぶりを抑えた真面目人間ぶりがおかしい。 この2人の男優、今年のアカデミー賞の司会が決まった。どんな名コンビぶりを見せてくれるのか。こちらも楽しみだ。 ■バレンタインデー パンフレットに載っていた女性ライターの一文が示唆に富んでいる。米国では9・11同時多発テロ以降、喪失を体験したからこそ、家族というものの大切さが再認識されているという。 ゲイリー・マーシャル監督が、その辺を意識して作ったかどうかは分からないが、ロサンゼルスを舞台に、バレンタインデーという特別な1日を描いたこの映画は、いろいろな愛に満ちたロマンチック・コメディーだ。 恋人同士が、夫婦が、親友同士が、親子が愛を確かめ合いながら、お互いを支え合っていく姿は9・11以後の米国社会が求めている姿と言ってもいいかもしれない。 話題は俳優たちのアンサンブルだ。ジュリア・ロバーツをはじめアン・ハサウェイ、ジェイミー・フォックスらが出演。スター競演による恋の物語、愛の物語が幾つも平行して描かれる。愛のある人生の素晴らしさを見つける、確認する。そこに共感し、多くのスターが集結した。 喪失感を直接のテーマにしていたのがピーター・ジャクソン監督の「ラブリーボーン」だった。少女の死を通して家族の姿を見つめた。その先に描いていたのが家族の再生、愛の再生だった。 両作品はアプローチに違いこそあるが、観客に示そうとしたものは同じと言える。9・11で失ったもの、学んだもの。この2作品は米国民の今の心情を反映している。 ■ゴールデンスランバー 中村義洋監督の「ゴールデンスランバー」を見た。首相暗殺犯人に仕立て上げられた青柳雅春がひたすら仙台市内を逃げ回る。趣向を凝らし、見どころはある。が、何かが物足りない。そう、青柳の生き方が引っかかった。汚名を着せられたまま、その後の人生を送ることに、彼は何の疑問を持たないのだろうか。 警察から追われて、逃げているうちに、いつの間にか人生からも逃げていた。そんな感じだ。反撃を試みようとさえしない。理不尽な力で奪われた本当の自分を、自分の人生を取り戻そうとしない。一生逃げながらの人生に、生きる価値はあるのだろうか。 相手が巨大な権力、強固な組織であっても個として闘うところに意義がある。「暴力脱獄」のポール・ニューマンが演じたルークがそうだった。不条理な権力に抵抗し、不屈の精神で最後まで闘い抜いた。屈することを良しとしなかった。 しかし「ゴールデンスランバー」は、「黄金のまどろみ」というタイトルの意味通り、青春映画が持つ居心地の良さで包み込んでしまった。 青柳よ、それでいいのか。目覚めて闘え!!、と言いたい。君を信じた人や犠牲になった人に報いるためにもである。 クリント・イーストウッド監督の「インビクタス」が公開された。「征服されない」という意味だ。屈服されない者の話である点が興味深い。 ■サロゲート ”サロゲート”という究極の身代わりロボットが登場する。人間は自宅から遠隔操作するだけ。脳波でつながっている仕組みなのか、サロゲートが感じたことがそのままその人間に伝わる。ルックスばかりか、体型も、性別も、年齢までもその人間の好みに合わせることができる。なりたい自分の姿がサロゲートだ。 テクノロジーによる理想的な社会が描かれる。が、果たしてこれが本当のユートピアなのか。一つの殺人事件をきっかけに、この社会システムに疑問が投げ掛けられる。 サロゲートの破壊と同時に、遠隔操作していた人間までも自宅で死んでいたという事件が発生する。担当するのがブルース・ウィルス演じるFBI捜査官。金髪がフサフサのウィルスが登場。サロゲートなのだが、ウィルスにとって、これがなりたい自分なのだろうかと、おかしかった。 大手企業の開発によって生まれたサロゲート社会に不信を抱き始め、自らの体を駆使して事件の真相を探り出していくところが見どころ。このシステムを拒否し続ける人間の集団も絡んで、事件は意外な展開を見せる。 監督は「ターミネーター3」のジョナサン・モストゥ。身体的接触が希少になっていく現代社会に対する懸念が、この映画を作る一つのきっかけになったという。サロゲート依存社会という虚構に、今の携帯電話依存気味の社会が重なった。 ■Dr.パルナサスの鏡 悪魔との契約、人間の願望(欲望)をかなえる鏡の中の世界…と、テリー・ギリアムらしい奇想天外な世界が現代のロンドンを舞台に展開する。導くのは、荷馬車で巡業するドクター・パルナサス率いる旅芸人一座である。この時代錯誤的な一座が面白い。 悪魔とドクター・パルナサスの会話が意味深。物語の力が世界を存続させてきたという。それはギリアム自身の考えかもしれない。鏡の外である現実と、鏡の中という二つの世界を行ったり来たりしながら語られる物語は、ギリアムの世界観にあふれている。 魅惑的なファンタジーには全く興味がないといった感じで、ナンセンスで、ブラックユーモアに満ちた、かなりシニカルな世界が描かれる。 しかも、レクイエム的色彩さえ帯びている。というのも、物語のキーパーソンであるトニー役のヒース・レジャーが急死したためだ。この役をヒースの親友であるジョニー・デップ、ジュード・ロウ、コリン・ファレルの3人が引き継いだことは周知の事実。鏡の中の世界で、この3人が活躍する。それぞれがトニーの別の一面を表現する。 ドクター・パルナサス役はクリストファー・プラマー。「サウンド・オブ・ミュージック」でトラップ大佐を演じていた名優で、81歳になる。注目は娘役のリリー・コール。スーパー・モデルから女優へ変身を遂げた。 ■今度は愛妻家 豊川悦司が扮(ふん)する写真家・北見俊介の事務所兼自宅で、主に物語は展開、登場人物が出たり入ったりする。 舞台向きだなと思ったら、もともと舞台劇で、2002年に初演し好評を博したという。その舞台からの映画化だった。 主な登場人物は北見と妻のさくら(薬師丸ひろ子)、撮影助手の誠(濱田岳)、女優志望の蘭子(水川あさみ)、そしてオカマの文太(石橋蓮司が怪演)である。 限られた空間と少ない登場人物を通して描かれるのは、結婚10年目にして重大な局面を迎えた夫婦のありようである。と言ってもシリアスな劇ではない。コミカルなテイストを基本に、ささやかな日常生活において大切なもの、幸せとは何かを浮かび上がらせていく。 と、ここまで紹介したけれど、これ以上は書けない。ミステリーではないが、一人一人が秘密や悩みを抱えているばかりか、物語そのものに大きな秘密があるからだ。 真相が明らかになった時、だからあのセリフがあったのか、あの行動があったのか−と、後で思い当たり、余韻となって感動が広がっていく。 結末を知った上で、もう一度、見たい作品である。登場人物たちの思いを、セリフの一つ一つを初めて見た時よりも深く味わうことができるのではないだろうか。 監督は「GO」「世界の中心で、愛をさけぶ」の行定勲である。 ■副王家の一族 タイトルだけからだと中国か韓国映画を想像してしまうが、これがイタリア映画。イタリア統一に揺れる19世紀のシチリア島を舞台にした、ある貴族の一族のドラマである。と言えばルキノ・ヴィスコンティ監督の傑作「山猫」(1963年)が思い出される。 副王の意味だが、当時シチリアを支配していたスペイン・ブルボン家と関係がある。その王の名で治めていた高位の行政官を副王と呼んだ。登場するのは副王の末裔(まつえい)で、シチリア第2の都市カターニャの貴族ウゼダ家である。 シチリアと言えばマフィア発祥の地。「ゴッドファーザー」の世界である。子は父を乗り越えられるかが大きなテーマになっていた。「副王家の一族」で描かれるのも父子をテーマにした物語である。が、愛情劇ではない。父と子の確執を描いた憎悪劇だ。 強欲で横暴な父ジャコモと、反発する長男コンサルヴォの対立を軸に、一族の葛藤と運命が、イタリア統一という激動の歴史のうねりの中でつづられていく。 久しぶりに多様な人物が織りなす、重厚な歴史ドラマの醍醐味(だいごみ)を味わった。圧倒的な存在感を示すのがジャコモ。彼の人生哲学「人を鍛えるのは憎悪だ」には有無を言わさない説得力があった。監督は「鯨の中のジョナ」のロベルト・ファエンツァ。仙台市内で上映中。 ■アバター 娯楽作ながらジェームズ・キャメロン監督の主張が見え隠れする。軍事力による正義の遂行に対する怒りが感じられる。矛先は当然、覇権主義国家・米国に向いている。 物語は単純。ある惑星を舞台に、そこの貴重な資源に目を付けた人類が邪魔な存在である先住民ナヴィを圧倒的な軍事力で追い払おうとする。 出てくる人類が問題。ほとんどが米国人のようだからだ。資源の利権を狙う民間会社も傭兵もみな米国人に見える。西部開拓時代からの力の論理を、宇宙でも行使しようとする話だ。 ナヴィの社会に送り込まれるのが海兵隊員のアバター(分身)である。その彼がナヴィの女性を好きになり、ナヴィの視点から物事を見始めるようになるところが、この物語の転換点。世界観、価値観が逆転し始めるからだ。 良識的な人間も登場するが、大半は武力行使に疑問を持たない。がい歌さえあげる。その無神経な人間たちに下される判決が手厳しい。今の米国に対して、キャメロンは”否”を唱えているようだ。現代作家として、力の正義の風潮に対して物申さなければならない使命のようなものを読み取ることができる。 3Dや創造した世界のすごさが話題になっているが、いろいろな解釈が可能な、かなり寓意的なSF映画だ。人間のままかナヴィになるか、主人公の選択が象徴的だ。 ■パブリック・エネミーズ 世界大恐慌時代の1930年代、鮮やかな手口で銀行を襲い、FBIから史上初の社会の敵(パブリック・エネミー)ナンバーワンに指名された銀行強盗ジョン・デリンジャーを、ジョニー・デップが演じている。 監督はスタイリッシュな演出を得意とし、「ヒート」「コラテラル」など、硬派なアクション映画を手掛けてきたマイケル・マン。 この2人の意外な組み合わせが面白い。非情で冷静なプロの犯罪者である一方、大衆からは愛されたデリンジャーをデップが好演。悪役を演じること自体、珍しいが、デップならではの魅力的なアンチ・ヒーロー像をつくりだしている。余分なものをそいだようなマンのハードボイルドタッチな演出が、デップの新たな面を引き出している。 運命の糸に結ばれた男同士の対決を描いてきたのがまたマンである。今回は捜査官メルヴィン・パーヴィスがそう。デップに対抗できる俳優でなければならず、起用されたのがクリスチャン・ベイル。「ダークナイト」のバットマンだ。 デリンジャーの恋人に「エディット・ピアフ」でアカデミー主演女優賞に輝いたマリオン・コティヤールが扮(ふん)しているのも見どころ。 監督としてのジョン・ミリアスの名前を、一躍有名にした「デリンジャー」(74年)という傑作があったが、見比べるのも一興だ。 ■ニュームーン 高校を舞台にした純愛ものなら珍しくないが、好きになった男の子がバンパイア(吸血鬼)の種族だったら話が違ってくる。人間の女の子ベラとバンパイアであるエドワードとの禁断の恋の悲劇を描いたのが「トワイライト 初恋」。第2弾がクリス・ワイツ監督による「ニュームーン」。 前作で、ベラの幼なじみジェイコブから話だけ聞かされていたバンパイアのライバル、狼(オオカミ)一族が今回姿を現す。さらにイタリアに拠点を置く、強大なパワーを持つ貴族階級のバンパイア一族も登場する。 2作目はスケール的に大きくなっているし、登場人物たちが交錯してくる。しかも狼一族の血を引くジェイコブもベラに思いを寄せる。危険な恋のトライアングルが2作目最大の見せ場となる。 バンパイアや狼人間が出てきても、ホラー映画にならないところが、このシリーズの特徴。あくまで人間と、人間でないものの愛の悲劇性を主題とする。全米で若者たちに支持されるのも、そのテーマに共感するからだろう。人間を襲うバンパイアも登場するが、エドワード一家をはじめ何とか人間社会と共存しようとする点も、過去の怪奇映画と一線を画する。 貴族階級の一員にファコダ・ダニングが出ているのも話題。「トワイライトサーガ」と副題が付いているように物語は続く。彼らの運命がどうなるか、見守っていこう。 ■理想の彼氏 ”ボーイ・ミーツ・ガール”ならぬ”レディ・ミーツ・ボーイ”と言った方がふさわしいかもしれない。製作・脚本も兼ねたバート・フレインドリッチ監督の「理想の彼氏」はハリウッド映画の男女関係が逆転したことを教えてくれる。女性の方が現実的である上に、経済力や生活力もある。社会的地位でさえ上だ。 そもそもキャスティングの時点で、もう勝負がついている。男優より女優の方が有名で、キャリアも上なのが歴然としているからだ。 主役を務めるのはキャサリン・ゼダ=ジョーンズ。バツイチの、仕事も優秀な40歳女性を魅力的に演じている。対して男優はジャスティン・パーサ。と言っても「誰?」となるのでは。「ナショナル・トレジャー」シリーズでニコラス・ケイジの相棒を務めていた男優と言えば分かるかも。24歳のフリーター役で、ジョーンズがパーサに子どものベビーシッターを頼むことから、年が離れた2人の物語が始まる。 終始リードするのはジョーンズの方。大体、子守り役を頼まれたのも安全無害な男と思われたからだ。だから彼女に認められるためには男としてたくましくならなければならない。パーサの成長を描くエピソードがちゃんと挿入される。 男女の話をコミカルに描いた小品だ。特撮もアクションもない、こんなハリウッド映画をもっと見たいものだ。 ■イングロリアス・バスターズ クエンティン・タランティーノ監督の新作は、想像を超えた面白さだった。ナチに占領されたパリを主な舞台に、エピソードを重ねながら奇想天外な作戦が展開する。第2次大戦の史実を無視した結末にびっくり。「何でもあり」のタランティーノの世界が炸裂する。 アクションシーン以上にかたずをのんだのが会話のシーン。ナチ将校がフランス人農民の家を訪れてユダヤ人をかくまっているかどうかを問い詰める場面、ナチに変装した英国将校らと英国の二重スパイであるドイツ人女優が居酒屋でナチの将校と鉢合わせする場面など?。テーブルを挟んで緊張感あふれるやりとりはまさに出色。 映画オタクのタランティーノらしく全編、映画ネタがいっぱい。西部劇「アラモ」のメロディーが流れ出した時は感動さえ覚えた。クライマックスの舞台が、ユダヤ人女性が経営するパリの映画館。女性監督レニ・リーフェンシュタールらに関するドイツ映画のうんちくがまたたまらない。 ナチ退治を目的に組織された「イングロリアス・バスターズ」と、ナチに家族を殺害されて復しゅうに燃えるユダヤ人女性の話がメーン。英語、独語、仏語から伊語まで乱れ飛ぶおかしさ。主演はもちろんブラッド・ピットで、交錯するドラマの要的な役割で存在感を示す。見た後に、いろいろと語り合いたい映画に久しぶりに出合った。 ■なくもんか 現代の物語のはずだが舞台となる東京・下町の商店街から醸し出されるのは、あの「ALWAYS 三丁目の夕日」のような懐かしい昭和の空気である。商店街の名称も「善人通り」。ハムカツ店の跡を継いだお人好しの祐太(阿部サダヲ)を中心に、物語がコメディータッチで進んでいく。 幼少時に生き別れた弟・祐介(瑛太)や、音信不通だった初代店主夫婦の一人娘・徹子(竹内結子)らのエピソードを絡めながら「家族」をテーマにした物語が紡がれていく。3世代が同居した家族の泣き笑いが、隣近所が仲良く暮らす地域社会の中で展開する。 そう、善人通り商店街はとても居心地がいい。この映画は観客を、特に大人の観客を、まるでタイムマシンで、かつてあったような人情味あふれる世界に運んでくれる。 監督・水田伸生、脚本・宮藤官九郎コンビの仕掛けがある。本当の家族や兄弟に見えるが、実は”疑似”であるからだ。父親に捨てられ初代店主夫婦に息子のように育てられた祐太、兄弟と偽って他人と漫才コンビを組み別の人生を歩んできた祐介。善人通り商店街も一目でセットと分かるように作られている。 が、偽りの関係を否定した映画ではない。疑似であっても愛情や助け合い精神があれば、家族も商店街も本物になることを描いている。家族愛をテーマにした現代のメルヘンと言える。 ■気になる女優 ある女優が出ていると気になる映画がある。最近では「あなたは私の婿になる」と「ホワイトアウト」の2本。 前者はサンドラ・ブロック主演のロマンチック・コメディー。部下に偽装結婚を迫る女性上司が本当にいたら迷惑だが、彼女が演じるとどこか憎めない。 舞台が部下の実家があるアラスカというのがユニーク。大自然や珍しい習慣、果ては素朴な住民らに翻弄(ほんろう)されるブロックが笑える。このジャンルの女王はメグ・ライアンだったが、今やブロックが1人で頑張っている。移民が絡んだ強制送還といった社会問題がドラマの鍵になっていて、風刺も効いている。監督は40代女性のアン・フレッチャー。 後者はケイト・ベッキンセールが連邦保安官を演じるサスペンス・アクション映画。任務地が何と南極。そこで奇妙な死体を見つけたところから氷の世界に閉ざされた密室での連続殺人事件に巻き込まれる。 スリムな体で「アンダーワールド」「ヴァン・ヘルシング」などアクション映画に挑み、新境地を開いてきたベッキンセールが、事件の真相を追って活躍。氷点下50度、時速160キロで吹き荒れる嵐”ホワイトアウト”に襲われながらの、殺人犯との対決が見どころ。監督は「ソードフィッシュ」のドミニク・セナ。 2本とも仙台圏に足を伸ばして見た。 ■THIS IS IT マイケル・ジャクソンのファンではないが、予告編に感じるものがあって「THIS IS IT」に足を運んだ。 周知のように彼は6月25日、50歳で急逝した。映画はドキュメンタリーで、今夏のロンドン公演に向けて4月から6月にかけて行われたリハーサルの模様を中心に編集されている。実現しなかった幻のロンドン公演が映像でよみがえった。 妥協を許さず、音一つにこだわり、完ぺきなステージを求めてリハーサルに臨む彼の姿がとらえられている。かといって大スターにありがちな高慢さも、おごりもない。 その光景は意外でもあった。薬物依存や児童性的虐待容疑など、最近は負のイメージが強かったからだ。 「僕の音楽で希望をもってほしいんだ」と語り、スクリーンの中で躍動する姿は、まさに「ポップの帝王」の形容にふさわしく、とても若々しくさえあった。 リハーサルなのに圧倒される。もしロンドン公演が実現していたなら、ステージは語り草になっただろう。 「マイケル・ジャクソン仮面の真実」という本を見つけた。著者はイアン・ハルパリン、ポップ・カルチャーに関する調査記事に定評がある。急逝を受けて緊急出版された。本にはリハーサルの時の彼の心理がどんな状態にあったかも記されている。映画を見た後だけに複雑な思いを抱いた。 |
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